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クリスマス・ブルー

クリスマスが嫌いだ。いや、正確にいうと嫌いではない。嫌いではないけど好きではない。どちらかというと嫌いかもしれない。いや、この際だからハッキリ言う。嫌いなのだ。

初めのうちに書いておくと、キリストのお誕生日なんか、他国の祝いなんか関係ねぇ、思っているわけではない。

小さい頃はサンタを信じたりはしなかった。親にプレゼントは貰ったけど、ケーキを食べたりツリーを飾った記憶はない。かといって親に恨みなどないし、寧ろ感謝しかない。

自分が親になってからは、ツリーを飾るようにしたし、子供へのプレゼントを購入する為に奔走もした。独身の時も彼氏や友達とプレゼント交換したり食事に行った事も数える程度はある。だけど生きてきた殆どのクリスマスはどこか自分とは縁のない、遠い国の話、みたいな感じなのだ。

クリスマスの気配がすると気持ちが若干青くなる。この場合の青はスッキリ爽やかな青ではなく、灰色の混じった澱のような重さを感じる青だ。いわゆる、憂鬱。灰色の混じった青は好きだけど憂鬱は呼んでない。

今年も11月中旬を過ぎたあたりからスーパーでワム!の「ラスト・クリスマス」が流れ始めた。ああ、もうそんな時期なんか…まだそんな寒くもないのに…目眩がした。そして立ち止まる。

待てよ。スーパーのチープな音楽には「お買い得だよ」という気にさせる販促効果があると聞いた事がある。もうすぐクリスマスだよ〜年末に向けてお買い得だよ〜楽しい買い物、寄ってらっしゃい!と。

なのに、「ラスト・クリスマス」。何故に?あの歌は昨年のクリスマスに彼女に振られて臆病になった男の歌だ。山下達郎の「クリスマス・イブ」にしてもそうだ。冒頭から「きっと君は来ない」と言っているじゃないか。それが歌詞をなくしてチープな感じにしたら販促効果が?いやいやいや。既にぼっち前提の人への気遣い?そんな気遣いいらんやろ。

そしてあと3日と目前に迫った今日は「赤鼻のトナカイ」や「ジングル・ベル」に変わった。盛り上がってくる販促効果。私の憂鬱度もクライマックスを超えて諦めモードに。
この選曲は何か意図してのことなのだろうか?考えてみた。クリスマス嫌いな癖に。

前半はそろそろ用意をしなければいけないよー、と大人向けに。ターゲットは30〜60歳が中心。子育て世帯以外には懐かしい風を吹かす。
後半はもうすぐクリスマスだよ、と冬休み目前の子供達を盛り上げる為に。そして親には早よ準備しないとヤバいで!と警告音。それ以外の人への配慮は皆無。いや、みんなクリスマスは楽しいよね⁉︎という思い込み。

…クリスマスが嫌いだからって、スーパーの人に失礼やな。失言でした。ごめんなさい。

スーパーではない百貨店や繁華街などではまた違うチョイスなのかもしれないが人混みには行かないのでわからない。でもおおよそこの時期には何らかのクリスマスソングが流れているように思う。きっと多数派の人達がウキウキするようにイルミネーションや音楽で街はクリスマス色で包まれる。

私の現在は、家族や義両親と一緒に過ごすのが当たり前みたいになっている。まだ小学生の息子がいるから当然だ。しかし。今後、息子達が家でクリスマスを過ごさない歳になったら、夫と外食してクリスマスを祝うのか?無理無理、普段ならともかくクリスマスは無理。ならば家で二人でケンタッキーとか食べる?無い無い。無い無い。

普通の、よくある平日みたいに過ごしたら良いのだろうけど、それもなんか敢えて和食、みたいにするのはクリスマスに反発してるみたいで、意識してるみたいで居心地悪い。

面倒臭いやつだな私は。
しかしそうなんだ。こういうのが憂鬱なんだ。

クリスマスに一人で過ごすのが嫌だ!孤独が嫌だ!ぼっちは嫌だ!

「ラスト・クリスマス」「クリスマス・イブ」を耳にして一人のクリスマスを思い出して苛まれる私。でも定年の夫と二人で過ごすのはもっと嫌だ!

いっそクリスマスなんてなくなってくれたらいいのに。何度もそう思った。

リア充な若者の気持ちを想像してみる。
社交的な自分を演出して、友達とパーティ!または彼氏とラブラブディナー!…結果、楽しまなあかん、楽しませなあかん、と笑ってる自分を意識してしまい、すんごい違和感とわけのわからん罪悪感で翌朝、凹む。結果、憂鬱。

今の私は客観的に見れば、リア充な専業主婦。家族にクリスマスっぽい食事をいつもより時間かけて用意して、プレゼントを店で包装すると追加料金かかるから百均の商品でラッピングして、歪んだデコレーションのケーキを作って、精一杯の楽しい時間を用意した母を演じて、あっという間に平らげられて皿の山。キッチンにはケーキを作った名残の粉が粉雪のように残っている。ラッピングの抜け殻が散乱し、来年に再利用することを考えながら折り畳む…
翌朝は凹みはしないけど疲れて無気力。依然、憂鬱。

もちろん家族のことは大切に思っていて、子供の笑顔は私も嬉しいのだけど、こんな事感じちゃ駄目なんだけど、何処か虚しい。私は変なのかな。

…そうじゃない!みんな同じなんだ。

幸せそうにウキウキしてるように見えて、本当はそうでもしないとやってらんねー!みたいな。人生が退屈だから、時々の行事に楽しさを盛り込んで、メリハリつけないと生きているのが辛いのだ。
そう考えたら、クリスマスを楽しむ人に同情する自分がいる。どんどんやればいい。映える写真撮って、SNSでいいね貰って、人生に彩りを残そうぞ。

そういうわけでクリスマスは嫌いだが、大事なことなのかもしれない。(冒頭で書いた事と矛盾してきた。)
私自身、これからも子供の笑顔と商売の売上に貢献する為のイベントとして割り切って人並みのことはするが、いつか子供達と過ごさなくなったら、クリスマスの夜に一人で王将に行きたい。(昔、男性の友人が行った時は貸切状態だったらしい)
そしてクリスマスメニューを頼むのだ。そんなのが王将にあれば、の話だけど。
クリスマスと闘うのではなく、自意識過剰の自分と闘うために。

いつか、ぼっちのクリスマスが楽しめる時代が来ますように(もう来てるのかも)。そして、世界中の人達が楽しい日になりますように。此処に願う。願う。


(…今日は行きたかったライブに行けなくて、もどかしく気分がとっても青いのでクリスマスに当たってしまった。懺悔。)