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2023年をともに過ごしたもの(コクトーとトリニティリング)

私にとって2023年は、カルティエのトリニティリングと共にある。

2022年が「ようやく認められた年」であった私にとって、2023年は飛躍の年にするべきだった。

目指すべきは僭越ながら、ジャン・コクトー。

「芸術のデパート」と呼ばれるほど多岐に渡って活躍しており、美術にしても、映画にしても、ファッションにしても、1900年代前半のアートに触れようとすると必ず彼の名にたどり着く。「すべての道はローマに通ず」ということわざがあるけど、「すべてのアートはコクトーに通ず」と言っても過言ではない。

私は学生時代に映画の勉強をしてきて、いまでもたま〜に批評(のようなもの)を書くこともあるけど、映画しか知らないやつに映画のことを面白く書けるわけがないと思っている。そもそも映画は総合芸術だから、文学、音楽、ファッションなどと体系的にみていく方が面白いに決まってる。映画に限らず、音楽そのものだってファッションと密接に繋がっているし、ひいては政治・経済を知ることもカルチャーシーンを語るうえでは欠かせないこと。「知る」という行為に、「しすぎる」ということはない。だから私もコクトーのように、一つのジャンルに固執せず飛び回りたい。


あと、私はどうやら「軽やかな変人」が好きらしい。と言っても、知り合いでもない芸術家の素顔など分かるわけもなく、あくまで作品から感じられることのみで判断しているけど。
コクトー作品に見受けられる、浮遊した心地になるまでの自由さにとてもワクワクさせられる。型などにまったくはまる気のないところに、無限の感動がある。
なお、エリック・ロメール、ジャック・リヴェット、瀬田なつき、蓮沼執太は、私が心の底から愛している芸術家たちで、彼らもその類だと思う。

「軽やか」というと、「浅はか」「軽薄」という意味に捉えられがちだけど、そうとは限らないことをジャン・ジュネが書いている(らしい。具体的な出典は不明)

「コクトーの文体のなかから、私が見つけ出していただきたいと思うのは、生き方のきびしさである。軽さや優雅さやエレガンスは、怠惰や無気力を拒否する精神の特質である。」

パンフレット「飛翔するジャン・コクトーへの挨拶」P11


このテキストは、没後60年ジャン・コクトー映画祭パンフレットの、澁澤龍彦が寄せていた文章に引用されていて知った。

私が惹かれる「軽やかさ」とは、まさにこういうこと。私もこういう精神性でありたい。


そういうわけで、少しでもコクトーにあやかりたく、彼が小指に着けていたカルティエのトリニティリングを2023年1月7日に購入した。
2022年を頑張ったご褒美であり、2023年への意気込みでもある。

私はコクトーほど指が細長くないので、人差し指に合うサイズにした。
コクトー風に(?)鏡を使って撮ってみる。


ただリングが3連になってるだけと言ってしまえばそれまでなのだけど、これによく似たデザインが市場に蔓延っている現代でさえ、やっぱりオリジナルにしかない品格がある。

1924年(2024年で100周年!)に誕生したデザインにも関わらず、まったく古びずモードであり続ける。ボリューム感もしっかりあるけど、ゴツい印象はなくエレガンスを感じる。リングをくるくる回すようにして指に嵌めるからだんだん小傷がついていくけど、表面がマットっぽくくすんでいくくらいがむしろ味わいがあって良い。


内側には「ART」の文字を刻印した。

芸術はスノビズムやアカデミズムと結びつきすぎたせいか、芸術が好き=鼻持ちならない気取り屋と思われてしまいがち。それを懸念して、声を大にして言いづらかったところがある(noteでは散々言ってきたけど)。

でも、やっぱり好きなものは好き。それを主張して何が悪いんだろう? というか、恥とか体裁を気にしていたらなんの飛躍もないじゃないか。もっと積極的に好きなものに打ち込んでいこう。
そう思って、この文字を入れることにした。


2023年が終わるいま、改めてこの一年を振り返ると、間違いなく昨年よりも幅広く芸術に触れることができた。コクトー大先生には遠く及ばないけど、赤ちゃんの第一歩並みに、小さく、意味の大きい一年だったと思える。


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