見出し画像

鼻歌を歌って宇宙にオーダーする

今日は春分の日、祝日でゆっくり過ごしている人は多いのでしょうか。

わたしは自営なので、カレンダーはあまり関係なく働いたり休んだり。それでも祝日の雰囲気ってなんとなく空気感に漂っていて、土日とはまたちがうゆっくりした感覚がある気がします。

そういうゆっくりした気分のときって、お皿洗ってたり、洗濯物干したり、そういういつもしているような何気ないことをしているときでも、鼻歌が出たり、家の廊下でダンスのステップを2~3歩思わず踏んだり、することありませんか?

特によいことがあったわけでもない、いつもと変わらないのに。

そういうときって、いっしゅん頭の中からいろんな心配事ややるべきタスクなんかが消えて、安心や楽しさ、晴れた空とか、コーヒーの香りとか、そういう目の前のものが心を占領するのを許している。

そんな鼻歌とかステップとかを思わず歌ったり踏んだりしている人って、なんか嬉しそうだったり、楽しそうに、機嫌よさそうに見えますよね。

今っていう時を楽しんでいるんだな、って見えます。

同じ状況で、鼻歌の代わりに眉間にしわをよせてお皿を洗っていたり、掃除の合間にため息ついていたら、この人はこの状況がつらいんだな、って見えませんか。

神様は、これをキャッチするんだと思うんです。機嫌よさそうにしていれば、これが好きなんだなって。神様じゃなくたって、私たちだってそう。鼻歌うたってたら、なにか嬉しいとか楽しいとか感じてるんだなってわかります。

そしてため息ついていたら、なにか今、嫌なんだなって思う。

ところが私たちの心配って、未来についてのことが多く、せっかくコーヒーのいい香りがしていても、本当はゆっくりできる時間であっても、天気がよくても、それを楽しむことに心をあけわたさず、これから起こるかもしれない不安な未来に心を占領させがち。そしてその不安な未来を思って眉間にしわをよせる。

すると、矛盾がおきます。

未来に不安を感じるということは、この今を失うことを恐れているということ。つまり、今の状況そのものは続いてほしいのです。それなのに、つらそうに過ごしているので、私たちの願いを叶えようとしてくれる神様や宇宙などは、この今のようなものは欲しくないんだね、って思っちゃうわけ。

そして、ため息をつきながら想像している未来、ああ、それが叶っていないから今つらいんだね、って思う。

同じ今でも、鼻歌をうたっているのとため息ついているのとでは、発しているオーダーが真逆になっちゃう。

未来、こんなことが起きたら心配。それは誰にでもあります。でもその心配で幸せな今を侵略させない。心配があったら、行動する。あとの結果は神様にお任せ。これはお返しします、といって。

いま持っているものを味わって楽しむ。そうすればそれが好きなんだね、って神様はそれをもっと降り注いでくれる。

理にかなったシステムだなって思うのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?