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願望がすぐに実現しない理由

思考は現実化する。でも時間がかかる。なぜなんでしょう。このタイムラグが私たちが苦しむ原因です。

タイムラグがあるのは、思考の現実化を私たちが体験しているこの世界が三次元だからです。

空間上のとある一点Aにいる人が、別の一点Bに移動したいと考えたとします。そもそも三次元だから「移動」という概念になるのですが、移動するということは時間が必要だということ。あたりまえですよね。

で、もし移動が必要なく思考が実現するとしたら。

B地点へ行こうと思った瞬間、もっと言うならB地点を思い描いた瞬間B地点にいることになります。

B地点でCさんに会いたい、と思った瞬間、もうそれは実現している。思った瞬間が思ったときの未来であり、叶ってしまうので過去であり、そして当然ながら思った今でもある。

これが永遠に続くことになります。するとどうなるのでしょう?結局、A地点にただいるだけであらゆる体験がすべてやってきて終わり次が来る。どこが始まりでどこが終わりかもない。

つまり、すべての思考が叶うという次元では、体験は無になるということです。全て起きていてすべて終わっているから。

わたしの夢であるベラッジオでの大会でダンスする、という夢も、もし一瞬で叶ったら、思った瞬間ダンスし終わっちゃってる。そんなのやだ!じっくり味わい!

ね、思考してから実現するまで、タイムラグがあるから私たちはそれを体験できるのです。

体験するために生まれてきた、というのはこういうこと。本来の純粋なエネルギーだけの存在では、ただ無なのです。知ることができない。体験できない。味わえない。

だからエネルギー体は個人の身体に分散して宿り、体験しているのです。思考の現実化を。

身体を動かしてこの三次元を生きるには、OSが必要です。そのOSが自我。自我は身体を無事に生存させるよう機能します。文明が発達し生存するために活動する必要がなくなっても、この役割は変わらない。だからOSは変化を望まないし、リスクはとりたくないし、未知を恐れるのです。

情報をとり、検証し、計画し、計画どおりに実行する。これこそが安心できる活動の形。でもそれが、思考の現実化のプロセスを妨げます。

B地点に行きたい。これを望んだとき、自我は今はA地点にいる、とまず認識します。まだB地点にはいない、と。そう、だからこの人はA地点から移動できません。

思考が現実化することを知っている人は、B地点でやりたいと思っていることの準備を始めるでしょう。でも今はB地点ではないということにフォーカスしてしまう人は、B地点にいけなかったらどうしようとか、B地点に行くためにはどうしたらよいだろう、ということを情報を集め、検証し、計画し実行しようとします。

それはすべて、B地点にいない、という思考に基づいているので、B地点に近づく行動にはなりません。

そもそも、B地点にちゃんと到達する人は、A地点の前のX地点にいたときに、A地点にいたらやりたいこととしてB地点に行くことに思考を向けていたのです。

X地点にいたときから、A地点にいきたいという望みは叶うとわかっていたので、じゃあそこでなにをしようかなということでB地点にいくための準備を始めているということです。

だから当然、A地点についたときにはもう、B地点に行くという望みにたいしいけなかったらどうしようという思考は生まれない。

これが連続していくとしたら、叶わないかもしれない、という思考から行動することが、どれだけ実現を邪魔しているかがわかるでしょう。

たとえば、体操が好きな子がオリンピックに出たいなと願う。オリンピックに出るために何をするかではなく、オリンピックに出る人はなにをするのか、と思考するということです。

そして身体に分散したエネルギー体は、オリンピックに出る人になっていくプロセスを体験し喜ぶということです。オリンピックに出られないかもしれないからどうしよう、という体験をしたいわけではないのです。

思考が現実化することを味わうために、身体をもって三次元に私たちはいます。時間があるから「体験」できます。私たちの身体の時間は有限です。現実化しないかもしれない、と考えて時間を遅らせるのはもったいなあって思いませんか?




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