お盆が近くなってもうすぐ誕生日

昨晩もうひとつの家に帰って、たくさん寝て今晩は自分の家に戻る途中。

わたしは「最期、お母さんにやさしくできなかった。」って、ずっと少し心残りがあったのだけど、もしかしたら違うかも、と、いまここに書きながら頭が整理されている。

弱っているお母さんに、やさしい言葉をたくさんかけてあげたほうがよかったのかもしれない。でも、いま思えば、あのときのわたしは、あのときになってやっと「わたしがしたいこと」に忠実だったのかもしれない。ずっと、ずっと、お母さんに認められたくてがんばってきた(お母さんはきっと認めていたし、愛してくれていたはずけど)、ずっとずーーーーっと。
ということには、最近気づいたのだけど。

わたしはお兄ちゃんや弟と比べて制限されることもあって、その分二人と自分を比較することが多かった。あたらしいことを始めようとするときは、伝えてみてはお母さんの反応を伺ったし、反応が微妙だったら、やめておいた方がいいんだなっていう思考だった。お母さんがいたときはこんなこと思わなかったけど、いま思い返すとそんなことばかりだった。

「お母さんがわたしの行動を縛っていた」のではなく、「わたしがお母さんに縛ってもらっていた」というほうが正しい。だって、反対することだってできたわけで、実際「わたしのところにいなさい!」なんて言われたこともない。でもわたしはしなかった、それがお母さんに認められる方法だと思っていたから。


はじめに書いた、最期やさしくできなかったというのは、わたしは最期になって自分の意思でお母さんに接していたということだ。この期に及んでいやなことはいやだと言っていた。言いながら自分でも何言ってんだ思ったこともあったし、一般的に見たら病気の母親にむかってなんてことを!!!となるのかもしれないけど、実際わたしは最期を迎える1週間ほど前に鶴のliveのために2泊3日で大阪へいった。(17/3/13の記事参照)厳密に言えば、結果その時期になっただけであって、もちろん狙ったわけじゃないし、少しだけ、少しだけ怖かった。けど、わたしには大阪に行かない選択肢はなかった。お母さんは行っておいでと言ってくれた。母周りからはひどい娘だって思われたかもしれない。けど、お母さんはいつもわたしが楽しんでいることを見ていること、しあわせそうなわたしが好きだと言ってくれていた。

そう、そうだ、言ってくれていた。きっとずっと。(いま思い出した。)
お母さんはわたしの幸せを望んでくれて、いつもそうやって信じてくれて認めてくれていたのに。なのにわたしは、お母さんに認められてないって心の奥底でずっとずっと思い込んでいた。

ああ、やっとわかった。ほんといま、すっきり。

 


お母さんがいなくなって1年が経って、お母さん基準だったわたしの思考が、やっと少しずつ少しずつわたし基準になってきた。
ありがたい出逢いにも恵まれて、「○○じゃないといけない!!!」とガチガチに固められてきたわたしの頭がふにゃふにゃにふやけてきた。いままで、ほんとうに人に頼れない人間だったけど、人に頼れるように、信じられるようになってきた(これはわたしがわたしを信じてあげられているかららしい)。ずっとみんな「頼ってね」と言って手を差し伸べ続けてくれていたのにね、わたしががんばればいい!!!とずっとずっと思っていた。まーーがんこちゃんだった。ありがたく、わたしはとてもとてもひとに、場所に恵まれている。


最近思うことがあるんです。あのタイミングで逝くことも、お母さんの子育てだったのかな〜って。あのタイミングじゃないと、いまのわたしはない。1周忌頃からのわたし、とてもすごいスピードで進化しているんです。さっき書いたこともその進化の過程。

さすがやな、母やるな〜!!!!って思っています。


もう、直接話しはできないけどね。今日みたいに、点と点が繋がることがある。多分これからも、いろんなときに繋がって線になる。その度に母は偉大だったと思い知らされる。

ありがとうね、おかげさまで、わたしはわたしの人生を歩めているよ。

毎日が悲しかった1年目。

なかなかにがむしゃらな日々を越えて、助けられて助けられて、いやになるほど自分を見つめ直すこともありましたが、いまはこんなことも思えるようになりました。

いい感じですわたし。


もうすぐ57回目の誕生日。



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