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ADHDの息子が海外インター校で変わった話⑤「得意なことを伸ばす」?

マレーシアクアラルンプール在住の
美帆です。

マレーシアで3人の子育てをしています。

長男は8歳の頃、注意欠陥多動性障害、ADHDと診断されました。

3年前、中学1年時の偏差値は35。

そんな長男をマレーシアのブリティッシュ系寄宿制
インターナショナル・スクールへ入れて3年。

息子はこの学校で
成績優秀者として2年連続でトロフィーを獲得するほど
成績の良い生徒となりました。

それはどういった要因によるものか。
日本との違いは何か。
考えたことを書いています。

以前、アスペルガーの少年(偶然にも長男と同い年!)が進学せず珈琲焙煎専門店をオープンしたという記事を読みました。

本当に素晴らしい。

彼の特性に合った環境を整えてあげられた家族の素晴らしさ。

「過集中」という特性に気付き、それを生かせることを仕事に出来たということ。

本当に奇跡のようなことだと思いました。

今日はこれに関連した話をしたいと思います。

「過集中」という特性はあるけれど

私の長男にも「過集中」という特性があります。
「自分の興味をひいたものにだけ過剰に集中し
興味関心の無いことには集中できない」というのが彼の特性の一つです。

興味を持てる授業や科目だけ成績が良い、ということが小学生の頃に顕著にありました。

彼の特性を知っている身近な家族や友人にも

「個性を伸ばして、生かせる道を見つけてあげたら良いんじゃない?」

アインシュタインやエジソンも発達障がいだったんだって

なんて言われること、たくさんありました。

そんな時
私はいつも目を逸らし、「そうだね」と答えていました。

だってそれは正論だし私もわかっているけれど
私はまだ長男の「得意」も「生かす道」も見つけられていないから。

見つけてあげられたらいい「のに
生かしてあげられたらいい「のに

自分を責める言葉に変換してしまっていました。

もはや、呪いです。


確かに彼は過集中という特性は持っています。
ですが去年ハマっていたことを彼は今もやっているでしょうか?

**「NO」です。 **

4歳の時は、側溝を線路に見立てて
電車ゴッコをすることにハマりました。
それこそ外に行くと何時間でもやっていられました。
住んでいたマンションの周りを何周も何周も回るのに付き合いました。
下の子の世話をしている最中にふっと見えなくなり
周りの方も巻き込んで必死に探すと呑気に電車になっていました。

今は、「4歳の頃は側溝を線路に見立てて…」
と話すと面白がって笑います。笑うだけです。実行はしません。

機関車や電車が大好きで、名前を覚えたり
おもちゃのレールを2歳頃には家中に敷き詰めたりしていました。

今は年の離れた弟にせがまれたらレールを組み立ててやる程度です。
オタクと呼べるほど電車に詳しいわけでも無いようです(私よりは詳しいですが)。

小学生の頃は将棋にハマり
千駄ヶ谷にある将棋会館まで毎週何年も通っていました。
今ではたまにやる程度です。
あまり強くもありません。
この時は特に「将棋を伸ばしてあげたら良いんじゃない」と言われたものです。

日本の漫画にはまって、
漫画家になりたいと言っていたこともありますが
ゲームにハマって絵はそっちのけになりました。

「本人が得意なこと、ハマってやり続けるものを伸ばしてやる」
というのは正論ですが、そもそも「飽きる」可能性も高いのです!

そして、親の立場から言うと、これは難易度がとても高いのです。

色んな事にハマる息子。

何が得意なのか
何に才能があるのか
彼はずっと続けることが出来るのか

親も手探りです。

そもそも私も「私自身の経験」しか持たず
そんなに多彩な選択肢を見せることが出来ません。
本人も同様に「彼が見つけるもの」は限定的です。

話は少し逸れますが
「過集中」にも程度があり2時間やり続けるのと
5時間やり続けられるのとでは全然違います。

それこそ、上記記事の珈琲焙煎士の響くんは「5時間」やっていた。
将棋で身を立てている人も同じでしょう。

いえ、1日のほとんどをそれに費やしているでしょう。

長男の「将棋に対する熱」は始めて1年で初段まで
駆け上がっていく子達と比べ物にならないほど低いのを感じていました。

「過集中」という特性で「身を立てられる」ほどは無い。
「個性を伸ばす」と言っても
「好きなこと、打ち込めることを探す」という誰しもが望むことです。

天才と比べることがそもそもおかしいのです。
でも、長男に出来ない事が多い(興味が持てないことは全く集中出来ない)分

「人より集中して出来る事」を何か探さ「ねばならない」
必要以上に自分を追い込んでいたように思います。

まるで、見つけないと幸せになれないかのように深刻に考えていました。

そして、発達障害を持つ保護者の方で、このような方に多く出会ってきました。

さて、今の学校は、コンピュータと本が好きだからといって
CCA(クラブ活動)でITとブッククラブを選ぶ、のを許してくれません。
希望どおりに行かないことも多々あります。
「色んなことに挑戦」させるため、学校から敢えてさせられることもあります。
長男はサッカー、バンド、バスケ、Drama、合唱、ダンス、環境問題を考えるクラブ、ボランティア、と様々なことをやってきました。
(日替わりで複数の活動をすることになっていて、日本の部活とは少し違います)

今まで彼は失敗して嗤われたり
嫌な思いをたくさんしてきている分
新しいことをやらなくなってしまっていました。

今の学校は、そんな彼に新しい挑戦をさせ続けてくれています。
多彩な選択肢を提示して
「やってみろ!」
と息子の背中を押してくれます。

長男は
「やる前は疲れるし嫌だったけど、やってみたら楽しかった。失敗しても誰も怒らないし、責めない。それどころか励ましてくれる」
と私に話してくれました。

運動が苦手だったのに、寮の友達が身体を鍛えているのを見て
「エキスパンダーが欲しい」と言い出しました。
CCAで友達とバンドをやってみて
「最近古い洋楽に興味が出てきたんだよね」なんて家族に話すようになりました。

長男はまだ「見つけ」ていません。
3年前に上記の記事を読んだなら、私は
見つけてあげられたら彼は幸せになれるのに
と呪いにかかっていたでしょう。
出来ない自分を責めていたでしょう。

でも今は、
「いつか見つけられたら良いな」
と思えるようになっています。

むしろ
「見つからなくても失敗しても、また立ち上がることが出来ればOK!」
「本人が幸せならOK!」

と楽観視できています。

息子と他人と比べることなく、奇跡のような事例を見ても
ただ素晴らしいと思えるようになりました。

「どんな分野でもいいから人よりできる人」
「すごい人」
になる必要はない。 大事なことは、彼が幸せで自由であるために
挑戦し、失敗しても立ち上がる
「生き抜く力」

見つけられたら幸せだけど、見つけられないのは不幸ではない。

そして、それを見つけるのは親ではなく彼自身。

今の長男を見てそう思います。
その力を、彼は今の学校で教えられています。

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ここまで読んでくださりありがとうございます。