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2020年5月における私の出産

 2020年5月のよく晴れた日。私は第2子を出産した。
 2020年5月のその日。私の住む愛知県はまだ緊急事態宣言が解除されていない最中のことだった。

 新型コロナウイルス感染症は、私のバースプランをことごとく粉砕した。バースプランとは、出産時に誰に立ち合いしてもらうか、音楽はかけるか、へその緒を夫が切るかなど、事前に希望を伝えて助産師さんと計画をたてておくものだ。その立ち合いの希望として、私は夫に加えて第1子の長女にも立ち会わせることを希望していた。
 長女は5歳になるころで男女の区別がほぼ理解できてきた。性教育の意味でも母の出産を身近でみてもらいたいと、子どもが立ち合いできて病室に入ることができる産婦人科医院を選んでいた。第1子を出産した総合病院は、地域の周産期母子医療センターとしての役割があり、医療機能としては安心以上のものがあったが、そこでは病棟に子どもが入ることを禁じていた。

 そして陣痛がきた、5月上旬。
 子どもどころか、夫すら産院に入ることができなかった。

 「男なんて出産の場面にいてもろくに役に立たない。」
 そういう意見もいく人かからもらったが、こと私の夫については立ち合いに向けて私の厳しい指導を素直に受け入れてくれる器と向上心があった。やれ水をとれ、やれマッサージしろ、背中をさすれ、陣痛の間に緊張をほぐせるかが次の日からの筋肉痛具合を左右するのだ、とイメージトレーニングを家庭でしているところだった。
 しかし実際には、産院の玄関先に荷物を運ぶだけで、彼の活躍は終わってしまった。
「がんばってね。」
 そう言う彼は私よりも悲壮そうな表情をしていた。

 出産のための入院。その産院の玄関先の場面には長女もいた。
 長女の出産のときもそうだったが、私の陣痛は深夜の3時のスタートだった。長女は寝ていたが、一人で家においていけるはずもなく(置いていけばネグレクトという虐待である)出発の直前に起こして、夫が抱っこをして運び、車のチャイルドシートにすっぽりと座らせていた。
「お母さん、赤ちゃん産んでくるね。」
 産院の玄関先で娘に声をかけたが、娘は母である私の顔を見ずに、神妙な顔をして前を見据えていた。
「おうちでお父さんの言うことよく聞いて、ね。がんばってくるね。」
 もはや私のほうが娘にすがりつくような様相だ。この産院の玄関をくぐれば、出産し退院するまでのおよそ5日間、夫と娘に会えない。
 さみしいのだ。
 黙って前を見据えたままの娘は、決して薄情なのではない。真面目な性格で、自分がどんな反応をしたらいいのか正解がわからない、困ったときには固まってしまうタチだ。この時もそうだったのだと思う。私が娘をぎゅっと抱きしめると、娘も私の首に手をまわしてぎゅ…と抱き返してくれた。母にはそれだけで十分。気の利いた言葉なんてなくても、それだけでパワー充電完了。
 お母さん、がんばっちゃう。

 陣痛で辛い時間は子宮口が7㎝を超えて3分間隔を切ってからだった。
 それまでは痛みがきても「いたたー」ぐらいのもので、10分間隔の時など夫とswitchでモンスターハンターXXに興じていたし、そのあと普通に寝た。6分間隔になってやっと起きて、産院へ電話したものだ(陣痛の痛み方については人それぞれ、十人十色のため、くれぐれもよろしく)。
 痛みが本格的になるまでは新型コロナウイルスへの恨み節をTwitterに投稿し、多くの方にリプやイイネで励ましてもらい、これは頑張るしかないと思わせてもらった。
 その節は深夜に騒ぎちらしまして、失礼しました。
 そしてありがとうございました。

 そしていよいよ本格的になった陣痛。
 これはめっちゃ痛い。いきみたい。でもいきんだらダメ。辛い。
 そしてひとりぼっち。
 一人目の時に「次産むときは絶対無痛にするぞ…」と誓ったが、産院を選ぶ過程で娘の立ち合いをさせたいと思うと、どうしても無痛でない産院になってしまった。でも新型コロナのせいでその選択は無意味になった。この野郎。恨んでやる。
 さらに生憎なことに夜勤帯の出産になったため助産師さんが元々少なかった上に、同時間帯に産気づいた初産婦さんがいて、そちらのほうに人数がとられて経産婦でローリスクな私は本当にギリギリまでLDR室に一人きりだった。フォローしてくれる助産師さん、なし。そのためバースプランの中に挙げていた「バスアロマ」もしてもらえなかった。あー気持ちよかったんだろうな、陣痛が和らぐって本当だったのか確かめられなかったな。背中なんてさすってもらえてない。肛門も押してもらってない。水分だって自分で身をよじらせて配置しなおした。あな憎らしや、憎らしや、化けてでてやる。
 苦し紛れにスマホでLINEをつなぎ、夫とビデオ通話を続けた。家にいる夫と娘に応援してもらい、猫のリュウがニャーといい、ハルはナーといい、私のうめき声を聞かせて、心細さをやわらげた。スマホを強く握りすぎて壊れないかと思った。壊れなかった。壊れなくてありがとうiPhone6s。

 子宮口9㎝。そのころになってやっと助産師さんがやってきた。
「まだいきんじゃだめだよ。」
 うるせーいまごろやってきて、何をえらそうに。いきんでやる。
「だめだめ!赤ちゃんが苦しいから、まだいきんじゃダメ!」
 そうか、赤子のためなら仕方ない。
 でも少しいきんでやる。
 これが経産婦の生意気さじゃ。

 そんなこんなで、次女がうまれた。3700gを超えていた。


 新型コロナウイルス感染症が流行している時世における出産の気がかりは、立ち合いの可不可だけではない。もっと重要なことがある。
 医療のキャパシティの減少である。
 当時の愛知県は、毎日のように複数の感染者を確認しており、感染症患者を受け入れるための病床数と感染者数の均衡を表わすサイトでは、愛知県は危険な赤色に燃え上がっていた。緊迫。愛知県知事は「医療崩壊はしていない」と否定していたが、世間ではすでに通常の患者であっても発熱の有無や渡航歴の有無によっては受診を拒否する病院医院が出てくるなど、確実に「いつもとは違う」状況になっていた。他都市では救急車が受け入れてもらえないというニュースがでている。
 普段は意識されてないことが多いが、出産は危険が伴う。母体は大量出血や血栓症で死ぬことがある。新生児は呼吸が安定しなければNICUをもつ病院での入院が必要なこともある。
 はたして自分がそうなったとき、スムーズに受け入れてもらえるだろうか?受け入れが遅れて出血多量で死亡、というのも非現実的ではない。生まれてくる次女は順調に呼吸をするだろうか?出産前にそんな不安になっては看護学生のころに学んだアプガースコアの数え方を復習してみたりしていた。

 結果としては母子ともに健康、順調な出産。順調な産後の経過。退院。
 十分に安産といえるのでは。
 といっても、第1子のときに弛緩出血で産後入院中に多量に出血し、尿道カテーテルを退院間際までいれて安静をとっていた経緯もあるので、今回は事前に子宮にガーゼを詰めてもらったり、念のための鉄剤を処方されたりと産婦人科の主治医先生の配慮があってこその順調な退院だった。産院の皆さん、ありがとうございました。


 歴史的な新興感染症の脅威にさらされている現在。私のイチ出産など別に歴史的でもドラマチックでもないのだが、娘たちが大きくなって家族の思い出話をうっとおしがりながらも聞いてくれる時がくれば、この時の話を絶対にする。何度もするかもしれない。

 先に謝っとくね。娘たち、ごめんよ。
 お母さんなりに頑張ったんだよ。

 がまんしてくれた長女、ありがとう。
 支えてくれた夫、ありがとう。

 生まれてきてくれた次女、ありがとう。