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日々、というところに 今日も〈8〉

私の読んだ本たちは、
私の頭のどこへ…?
遠く頭の中の宇宙のどこか、
星たちにまぎれて…。

私は、記憶力がよくない。
かなしいことに、
読んだ本の細かな内容を、
ほとんど忘れてしまう。
誰かに読んだ本の内容を
説明しようとすると…
驚くほど出てこない。
だから、本の感想文を書くには、
今、読んで、すぐ書かないと…
………………………………
なので、この記事は、
読書感想文ではなく、
140文字を大幅に超える
〈つぶやき〉です。
………………………………

私の読んだ本たちは、
頭の中の宇宙のどこか。
けれど、
日々というところで今日も、
確かに、私を支えてくれている。
大きく深く、体の奥から、
今日も私を持ち上げる。

自分に何かできるのか…
自分がどうしたらいいのか…
自分に生きている価値があるのか…
毎日毎日そう思いながらいた20代。
自分が大嫌いで、死にたくて…
そんな20代、
ひとり暮らしの私の本箱で、
私と共に暮らしてくれたのは、
須賀敦子さんの本だった。
…「ヴェネツィアの宿」
ひとり、寂しさに負けそうになると、
部屋でよく読んでいた。
記憶力がよくないおかげで、
いつでも、読むたび、新しい。
今でも読む。
私はこの本が好きだ、
という記憶だけは、確か。

そして、もう一冊須賀さんの本。
…「ユルスナールの靴」

きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。

「ユルスナールの靴」より 須田敦子

そう、そうなんだと思いながら、
私は20代を、右に左に、
まっすぐ歩かず、
立ち止まり、うずくまり、
わざわざ合わない靴を履いて、
歩いた。
立ち止まるたび、
この言葉が私の体の奥から、
私に問いかけた。
〈きっちり合った靴〉
それは見つかりますか?
見つけられますか?
ありますか?

そんな20代の最後に見つけた本が、
「春夏秋冬」(はるなつあきふゆ)
香月泰男さんの画集。
西荻窪の古本屋さんで、ふと目に入り、
抱きかかえるようにして、
家に連れて帰った本。
何かに“出逢う”とは、このことだ、
と、思った。
“絵”にしかできないことがある、
と、この本が教えてくれた。
私には描けない絵だけれど、
絵を描こうと思わせてくれる本。
死ぬまで抱えていたい本。

ある日、ひとりで喫茶店をやる、
ということを発見した時、
私は何故か、
歩くのではなく、港に立って、
どんな舟に乗るかを思った。
そして私はひとり、
小さな舟を漕ぎ出した。
その後の17年を支えてくれたのは、
「わたしのおふねマギーB」
幼い頃から、絵もお話も大好きな絵本。
17年、私はマギーBに乗っていた、
ような気がしている。

途中、疲れると、
「よあけ」を開き、
もっともっと疲れて、
頭の中がぐるぐるして
眠れなくなると…
ベッドに腰かけて、
「クマのプーさん プーの横丁にたった家」
を、開く。
たまたま開いたページの1話を
読む。すると…
自分に戻る帰り道が、
わかる。

あれこれ考えすぎるのは、
私のクセ。
「考えるのが趣味なんです」
なんて言って笑ってごまかす。
結構自分に疲れるのだけれど、
そんな時は、
工藤直子さんの「てつがくのライオン」
を、思い出す。
「てつがく」は、肩がこるのだ。
肩こりをわすれるくらい考えたら、
いいのだ。考えすぎてやるんだ!
そう…いいのだ。
と、思うことにしている。

そして、この秋、
私は小さな舟を降り、
とことこ歩くことにした。

この頃教えていただいた本は、
新しい仕事の友。
先輩?師匠かも。
「ゴールディーのお人形」
ゴールディーに近付けるかな…
そう思いながら仕事をする。

そしてまた、この秋、
体の奥から聞こえてくる…
「きっちり合った靴さえあれば、
じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。」

きっちり合った靴は…
きっと、ある。
たぶん、ない。
歩いていける…
はずだ。
だろうか。
両方抱えて、歩く。
今日も、明日も…日々…
きっと死ぬまで…
両方をお共にしたまま、
歩く。

絵はがき〈2020年9月〉

共にゆこう
今は

君は
敵でも味方でも
ないかもしれないが
少なくとも
今のわたしを知る
唯一の友

ゆこう
空と風の中を
今は一緒に

©️Mifu Sato

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