先々月、母に病気が見つかり、先月、私が突然のストレスからか、突発性難聴になった話。(今は完治)父は近所や周囲に対する演技の方向性を変えてきた。何かの参考になれば。
今回は、コロワク、家庭内暴力の話ではないのですが、
同じような環境になってしまった人の何かのヒントになればと思い、
書いてみました。
先々月、母に病気が見つかった、「腹膜がん」とのことだった
経緯
数か月前から、母がわき腹が痛いというのはたまに言っていたのですが、
定期健康診断があるから、その時になにかあったら分かるだろう、と
そのままにしていて、再検査通知が来たので、
何度か病院で検査をして(検査をする前までは元気だったけれど、いろんな検査をたてつづけにして、弱っていくのが見てとれた)
結局、腹膜にがんが点在している「腹膜がん」という診断名になったようです。
母は、母の母(私の祖母)が同じくがんで、抗がん剤で苦しんでいるのを見ていたから、なるべくなら切ってもらいたいと言ったらしいのですが、
お医者さんは「切るんだったら、まず、開腹して、確認して、あってもなくてもおなかを閉じて1か月後に本格的に手術。見つからない場合もある」
という説明だったようで。
母は、1か月何もできなくてがんが進行するよりは、それから、がんがあちこちに点在していて手術では取り切れない可能性があるということで、抗がん剤を選択。
血液検査後、最初は4日入院し、聞き取り、説明、準備、抗がん剤投与をして、次の日に帰宅。
帰ってきた当日と次の日は、なんともなかったのですが
3日後から明らかに食欲がなくなり、弱っていくのが目に見えて分かりました。
病院からは、抗がん剤は吐き気がするかもしれないからと、吐き気止めをもらっていたようで、それを飲んだ様子でした。
結局、母は1週間ほどは、1日にスプーン大さじ2杯のおかゆだけを食べていました。
一週間がたったころから、抗がん剤の効力が弱ったのか、母の気力が戻ったのが分かり、食欲も出てきました。
ただ、髪の毛はばさっと、犬の季節の抜け毛のように取れ、声もしわがれて出なくなっていました。
私がしたこと
幸いにも、これまで私が直接大病の人を見るという機会がなかったので、
明らかに変わっていく母の様子に少しパニックになっていたのだと思いますが、
「がんになっている人はたくさんいるんだろうから、家族に対しても公的サポートがあるかも知れない。お世話になっている民生委員さんに聞いてみよう」と思って電話して聞いてみました。
民生委員さんは、かかりつけの病院に緩和ケアセンターっていうのがあると思うから、そこに質問してみるといいかも、とアドバイスしてもらえたので
すぐに電話して聞いてみました。
病院の代表番号にかけて、事情を話すと、母の担当部署の方につないでもらって、母の通院時に医師からの食事指導を希望されますか、と言われたので、母が希望したらお願いします、と伝えました。
後日、私はついていっていないので直接どういうやり取りがされたのか見ていないのですが、母が医師の方から受けた食事指導は、どんなものを食べているか聞き取って、私が用意した豆腐やおかゆを食べていると言うと、「大豆製品を取るのは良いですね。なんでも食べやすいものを食べていいですよ。」とのことで、介護食のたくさん載っているカタログとサンプルを数点もらってきました。
私は、「この食事指導では母は死んでしまう」と思ってしまいました。
次の抗がん剤までの元気なうちにどうにかしたいと思った
このままでは、やばい。と思ったので、
いろんな本を買って読んでみたり、ネットやYouTubeで情報を取捨選択したりするうちに、
「心」「食事療法」ということにたどり着きました。
コロワク騒動でいろんな医学情報を素人なりに集めて考えていたのも幸いしてか、この2点にはすぐに納得しました。
「西洋医学は原因だけに特化してそれを駆逐することが”完治”の定義。だから「なぜ」この病気になったのか「どうやって」また原因を作らないようにするのかの考えがない」
それが、「がん治療は5年生存すれば成功」と言われるゆえん、ということらしいというのもどこかに書いてありました。
なので、「末期がんでも長年生きた人」「心が病気を作り出している原因」ということに焦点をあてて、ここにアプローチしていく方向で今は動くといいと思い、
たまたま、コロワク騒動で「メタトロン」の話をされていた、私が信頼できる情報を伝えてくれていると思った医師の方が何人かいらっしゃったので、(メタトロンの原理も解説されていたのですが、とても納得。量子学の不思議な現象を現実に表せる技術は、本当にすごいと思う。)
住んでいる地域で「メタトロン」と検索すると、数か所表示されたので、
母も「やってみる」と言ったので、その中の1つのお店に予約しました。
とにかく、その時は「母の心の状態がどうなっているのか」というところから、心のストレスや不安を可視化して、そのストレスをなくして、食欲を取り戻してもらいたいと思っていました。
メタトロンで分かったことですごく助かった
私の行ったお店は、メタトロンでその人個人の合う食べ物も判別してくれるもので、本当に助かりました。
心の状態は、そこではおそらくサービスに含まれていないか、判別する機械ではなかったのかは分かりませんが、なんとなく、ここでは聞かなくてもいいような気がしたので、聞きませんでした。
ただ、体の各部分の状態を記号で見ることのできるものだったのですが、
母の場合は、すでに抗がん剤を1回打っていたからか、内臓の表面部分がその時は一番弱っている状態でした。
何も食べない母にどう食事を作ればいいのか、食事療法といっても、どんなものを食べさせたらいいのか、大豆や鶏肉やお米がいいのか、と思っていたら、まったくの予想外のものだったので、早めに見れてよかったです。
確かに、母が以前から「食べたい」と言っていて、私が苦手で安価な食材な方を結局買っていて、それが母には合わなくて、食べたと言っていたものが上位に出ていたので、本当に不思議だなと思いました。
(余談ですが、後日、私もメタトロンをやってみたのですが、母とは真逆でした。私が食べたいと言っていたものが、やはり私には合っていました。親子で全然合わないこともよくあるそうです。不思議。)
いつかはメタトロンをやってみたいな、と思っていたので、この機会に体験できてよかったと思います。
私が突発性難聴になった
9月中旬に、突然、右の耳が聞こえにくくなり、日が経つにつれて地鳴りのような大きな音、人の声やお店のBGMの中に金属音のような反響する音が大きく聞こえてくるようになっていきました。
はじめは、「そのうち治るだろう」「疲れていたからな」「慣れないことが立て続けに起こってストレスがたまっていたからな」「変な音が少し普段と違って面白く聞こえるな」と思っていたのですが、
5日くらいたってから、調べたら「48時間以内に病院に行かないと治りづらい」と書かれていて、びっくりして翌日すぐに耳鼻咽喉科に連絡。
耳鼻咽喉科の先生も、そのあと薬を処方してくれた薬剤師の方も、「早く来ないと」と言われていました・汗
地鳴りのような大きな音が、耳鳴りという定義なのを今回初めて知りました。
耳鼻科の先生は「1週間後にまた来てください」とおっしゃって、1週間後に耳鼻科をまた予約。
薬は、先生いわく「水虫薬のまずいの」と、あとは錠剤を2種類。
「水虫薬のまずいの」は、飲み始めてからずっと内臓が痛くなり、歩くのも苦痛な時もあるくらいでした。
また、耳鼻科とは別件で、発症後3日後くらいにたまたま予約していた鍼灸院で耳の状態の話をして、耳周辺に鍼灸を先に施術してもらっていたのがよかったのか、
鍼灸と耳鼻科の合わせ技がよかったのか、1週間で症状が治まりました。
よかった、、、。(ネットには、耳鼻科に見放されて10回鍼灸に行って、やっと治ったというような話がいくつかあったので、「遅すぎたかも!」と思っていたので、本当に良かったです・汗)
(鍼灸はそのあと念のため2回行って、施術してもらいました。)
耳鼻科の先生も、「寝る時間をふやしてしっかり休んだ方がいいよ」とおっしゃったので、しっかり守って、普段よりも2時間くらい早く寝て、
あえてリラックスする時間をつくって、意識して無理しないようにして、ふんぱつして近くの温泉に入って血行を良くして、
心がなるべくリラックスするように努めました。
本当に、ストレスから病気が来ると実感しました。
母が倒れたり、いろいろありますが、、、
その後、西洋医学だけでなく、東洋医学で何かないかと思い、漢方薬局さんでとても丁寧なホームページを見つけたので、母にホームページを見せて、電話していろいろ聞いてみたら?と言ったらかけてくれ、
そこで、病院では伝えられていなかった、母の検査表からの情報をおしえてもらえたり、いろいろ母も安心したり頼れる場所が少しでも増えたので良かったと思っています。
もともと、母は貧血気味だったのですが、今回のことで夜中に意識をなくして倒れて私が発見することもあったりして、
わたしの心臓も心理的負担もまだ状態的には完全には癒えない感じですが
なんとか乗り切っていきたいと思っています。
母の畑や、買い物など、母周りのことも抱えるようになってしまったので、
なるべく自分を甘やかして、ストレスをためすぎないように意識をして。
相変わらず、母は抗がん剤投与から1週間は何も食べないという状態が続いていますが、
メタトロンで今のところ、母に会う食べ物が可視化されたことで、
その期間以外は意識していつも以上においしく食べているようです。
この点に関しては、本当に良かったと思います。
心の叫びが、病気になる。
母は、限界を超えていたんだと思います。
父のDV、父の会社の借金、生活費も払わない祖母、あげくの果てに、抗がん剤で誰が見ても弱っている母に向かって父が「お前がこの会社をどうにかしろーーー!!!」とわめいたそうです。それをあの小さい体でずっと受け止めていた母の本心が、病気を表面化させたんだと思います。
ストーカー気質の強い(本当の意味でゾッとする、犯罪者気質が雰囲気から漏れ出ている人間なので。)父から100%逃れることができる、関わりを断ち切ることができるのは、死ぬことだからです。
私も、戻ってきて母を助けようなんて思わなければ、とっくに離婚して母は病気にならなくて済んだのかもと思うと、自分の行動がよくわからなくなってしまいます。これで、よかったんだろうか、、。
市役所に離婚届をもらいに行った
手元にあればすぐ出せると思って、私が勝手にもらいに行きました。
市役所の方が丁寧に説明してくださったので、
母が出そうと思ったらすぐに出せると思います。
命あっての人生。あんなおそろしい生き物と住む意味はないと私は思いました。使うかどうかは母次第になりますが、
実際に離婚届をもらいに行くと、「あんな紙切れ1枚だったんだな。何をこだわっていたんだろう。」と思いました。
今は、印鑑もいらないそうです。どうしても押したかったら印鑑はどうぞ、とのことでした。簡単。
父が最近は別の手を打ってきた様子だ
父のやりたいことは、「人の同情を買って関心を集めて感動してもらう」ことなので、(すべて計算ずく)
外で私たちには見せたことがないすごい笑顔と自分がいかに尽くしているかという触れ込みには余念がないようです。
母に先に何かあっても、父自身に周囲の人から同情と尊敬の念を集めるための事前準備が始まりました。
本当に、エネルギーバンパイア気質の生き物っていうのは、演技をするのも何をするのも姑息ですね。
家庭内暴力のある家に育っていない人には「何を言っているんだ?」という内容かもしれませんが、
「言葉」ではなく、「現実で何が現れているか、何が起こっているか」を
見る必要がある。
ここは、今のコロワク騒動と同じですね。
まあ、仕掛けている「あちらさん側」は、父と同じ性質の「人からの関心と注目が自分が存在するエネルギーの源のエネルギーバンパイア(他人軸の慢性依存気質)」なので。
本質を見る目、考える力が問われます。
(ちなみに、国のDV相談の人と話していたときに知ったのが、
父がよく私を恫喝するのは、年齢に関係なく「虐待」になるそうです。
父は、ほぼ毎日娘である私をストレスの掃きだめとして恫喝するクセがあるので、虐待になると、「精神的苦痛を言葉と圧によって与える」内容で裁判にかけられるのだろうか、と思っています。)
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