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発音は伝染する

英語の発音は伝染するんですよ。

それは、外国語として英語を学ぶ人もネーティブスピーカーでも同じ。それは、よく聞いている音に慣れて気づいたらそうなっているという事。

しかしこれは、発音が間違っていても同様なんですよ。

私がオーストラリアで語学学校に通っていた時に、間違えやすい発音を組み合わせた言葉遊びのようなものをやった事あります。
(残念ながら、詳しくは忘れてしまいましたが…)

そこで、ある文章で“work”と“walk” が含まれている文章がとりあげられました。それを1人づつ順番に読み上げることをした。
その時、最初の子が間違えてしまって立て続けに何人かが続けてこの2つの発音を混同して間違えたんですね。
先生はちゃんと間違いを教えようとして、言い直そうとしました。しかし、なんと同じように間違えちゃったんです。

彼女は、生まれも育ちもイギリスでロンドン出身。普段は、発音も正しいし強い癖もなく聞いとりやすい英語を話す人です。そんな彼女でも、よく生徒の発音を聞いてただけで間違えてしまった。
そして、混乱すると言っていました。自分がお手本を聞かせる時にも間違えてしまって恥ずかしそうにしていた。

ネーティブスピーカーでも、音を熱心に聞いていれば発音が合ってる間違ってる関係なく間違えてしまう。

ここから、知ってる知らないとかは関係なくて耳の慣れがどれだけ大事かという事が分かる。

色んなアクセントの人がいるので、選り好みせず聞き慣れるのも大事ですが発音に関しては間違っていないものをよく聞く事がいかに大事かという事が分かります。

発音は知らないうちに伝染するからです。

元々は違った発音だったのに、変化してきたものはこういう伝染が元なのではとよく思うんです。それだけ、ネーティブスピーカーであろうとも英語の音というのは混同しやすいものが多いということ。

と、いうことは日本語は英語と音が最初からかけ離れているものだから余程意識しなければ聞き分けが難しい。そうも思うべき。

だから、どれだけ継続して英語の音を聞くことができるかが大事。

ネーティブスピーカーは、そもそも英語としては自然な音を発している。
一つや二つ言い間違えようとも愛嬌にもなるし、最初から“ネーティブスピーカー”であるとのラベルが貼ってある状態。

しかし、日本人である私達は発音はいい加減でいいやなんて思えば咄嗟に相手に聞き取ってもらいにくくなるし、“外国人”だとラベルが貼られることになる。

そして、それだけのせいで対等に見てもらえない可能性がグッとあがってしまう。こんなに勿体無いことはないと私はそう思う。
事実、そんな人を私は多く見てきた。

話を戻そう。

発音が伝染する時、そうなりやすい音はどんなものか。

それは基本的に、ネーティブスピーカーには単純で耳に残りやすい発音である。
日本語のように大きく英語からかけ離れているものではない。

あまりに恐れ口に出せないのは論外だが、音を軽視してはいい理由にはならない。

ネーティブスピーカーは、音から英語を学んできた。だから、間違った音を発してしまうのは日本人が発音を上手くできない事と根本的に違っている。だってネーティブスピーカーは、とっくに習得していて間違えるんだからここで全然違う。

逆に考えたら分かりやすい。

日本人がうっかり日本語の言い方を間違っても、ただのお笑いだったり愛嬌程度のもの。しかし外国人が日本語の言い方を間違えばまだ上手くないんだなと思う人は多いだろうと容易に推測できる。

日本人と外国人を同じように考えられる人はそんなに多くないのは事実。
外国人でも普段から日本語がとても流暢な人であれば、日本人と全く同じように考えることできるけど果たしてそういう風にフラットに判断できる人が何人いるだろうか…。

音が違うから発音が大変なのはとても良くわかる。しかし、声に出して慣れていかなければずっと通じにくいまま。
尚且つ、最低限通じるレベルにも到達していないのに発音を軽視してはコミュニケーションの入り口を自ら狭いままにしているといえる。

日本人はネーティブスピーカーが発音を間違っているのを見つけると、直ぐにネーティブスピーカーでも間違ってるからというのを口に出す。自分の至らなさを、他人の間違いを引き合いに出し安心させる意味合いが含まれている。

じゃあ、自分達は一度も日本語で言い間違えをした事がないのだろうか……。日本語はネーティブだから少々の言い間違えでも愛嬌だろう。それにそんな細かい事指摘し合うのは変だし面倒くさい。息苦しいともいえる。

ちゃんと通じていればいいのに、細かい言葉警察をする事は気味が悪いともいえる。

しかし、それを英語がまだネーティブレベルにも達していない人達が発音の間違えは悪い事ではないと納得し当てはめるのは種類が全然違う。

ただの逃げと言い訳にしか聞こえない。そう思ってしまう。

誰も完璧に言語を操る事ができる人なんて、この世にはいないと私は思う。
しかし、相手に分かってもらおうと思えばなるべく聞き取られやすいように、そして理解してもらいやすいように話せた方がいいに決まっている。

音から何を相手が感じ取るのだろうかとの、心づもりだろう。それがあるかどうかの話に思う。

オーストラリアでは、多国籍な人達の英語を聞いた。中には、本来の英語からかけ離れた発音をする人にもあった。正直、慣れるまで聞き取るのは大変だった。
しかし、そんな中でもそんなに英語からかけ離れていない音が母国語の人は、多少違っていても文脈から判断できる場合はあった。

どちらにしても正直大変だと思う事は度々あった。

それらに比べて日本語は、英語の音の使い方と大きくかけ離れている。それに加えて発音まで大きく違えば聞いている方は本当に骨が折れ大変だろうなと、ネーティブスピーカーの気持ちになれば私は容易に想像できてしまう。

英語の音に慣れている人達の間では、かなり簡単に音が伝染していく。だからこそ、間違いも起こるし音も変化していっているものも確かにある。

しかし、それは似通った言葉だから多少違っていても流通していくのであって日本語の音は含まれないと思った方が良い。

英語は会話したければ、音を最も重視すべき。よく聞いて耳を慣らしながら、口に出す事も慣れる。決して軽視して欲しくないなとそう思った。

正しい発音をどんどん自分に伝染させて欲しい。ただの慣れだけなので、そんなに難しい話ではない。

英語発音について、いろいろ!

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