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英語が“出来る”の定義

英語を自主的に学習している人は、英語が出来るようになりたいと思っているはず、

しかし、この英語が”出来る” の定義を明確化している人はどれほどいるのだろうか?

本来これは人によって違うはずで、それによって学習方法さえ大きく変わるはずだ。
英語が使いこなせればこなせるほど、新しい視野を加えることが出来る可能性が上がる。けれどその一方で、“出来る”の定義をはっきりさせていなければボヤっとした状態で永遠と続けることと同義になる。

考えてもみて欲しい。日本語が“出来る”の定義を……。母国語ではあまり考えたことがない人は、珍しくないとは思う。
けれど、一旦立ち止まって気にしてみることは良いと思う。そして、それと英語とは連動しているのかも確認するべきだろう。

日本語を使いこなしているレベルでさえ人によって違う。だから、英語でさえ異なるのが当然だ。

日本語でさえ、人前で良く話したり人を相手にする日常がある人は語彙力を増やしたりしている。意識して頑張っている人もいれば、自然とやってる人さえいて個人差が大きい。

しかし突然、英語の話になるとフワッとした大枠で捉え漠然と“出来る”ようになりたいと思う人がいるのだ。

自分の今の実力と、将来の目標とがはっきりと示されていない。その状態では、暗い道を手探りのまま長く続けることになる。そして、多くの教材を買い彷徨うことになる。

どんな人を相手に英語を使いたいのかによっても使う語彙は大きく異なる。何がしたくて英語を学ぶのかも本来は人によって異なる。それに加えて、個々の特性や思考も違う。だから、学び方も全ての人にあう方法などある訳はないのだ。

英語を使いこなすという話になれば、個々の違い以外にも相手の違いにさえ目を向けなければ上手くはいかない。

「この教材をやれば数ヶ月で英語が出来るようになる」とか、全ての人に当てはまるわけはないのだ。売る方は、マーケティング手法でそう言っているだけなのに、なぜそれをそのまま受け取るのか?

“出来る” の定義がぼんやりとしたものである証拠だ……

言語を学び理解を深めるということは、様々な異文化を知るということであり、その背景を分かることと同義。

英語は世界中で色々な国の人が使う言語。英国や米国だけではない。そして、その英国や米国だって、様々な人々がいて違いがある人々の集まりだ。少しは傾向のようなものがあるのは事実だが、それだけでは語れない。

どういう英語をどういう人相手に使うのか、そのために自分はどうやって到達するのか?そこまで考えて学んでいる人はどれほどいるのだろう。

もちろん、英語は日本語とはかなり違う言語だから慣れるためには多く聞き、それと同時に多くアウトプットする必要がある。それを慣れるまで続けなければ難しい。しかし、慣れたとしても使いこなすのはまた別の話になってくる。

慣れるまでと、ある程度慣れた後からの両方のタイミングで個人個人で向いた継続方法を探す必要があるはずだ。これが、上手く探せられないと継続は難しい人が大半だろう。

英語が“出来る”の定義は、人によって違うはずなのだから、それをもう少し考えてみるのは大切に思う。

英語の能力アップのヒントになればと思い、まとめています


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