訛りを気にする事について
訛りを気にする人について思うことがある。
どうしてそこまで気にしているのかと……
実際、訛りを気にする事は「基準」の音があるという事に相当する。
なので、よく聞こえてきている音に「基準」を支配されている事を意味しているのだ。
英語は世界中で色んな国の人が話している言語。
一歩、場所を変えれば平気でその音の基準が変わってしまうのが事実。多くの人が聞き慣れている音である。
英国系。米国系。の発音でもすごく細かく色んな訛りがある事を認識している人は意外と少ないんじゃないかと思う。
私は、イギリス人です!アメリカ人です!
と相手から聞いたところで予想外の訛りが来るなんて珍しくもなんともないのだ。
英語圏でさえそうである。
しかし、英語圏以外の人物でも容易に英語を使っている。
英国系。米国系。だけでも多数の訛りが存在するのに、それ以上に訛りがあるのが実際の世界だ。
ある種、諦めないとやってられず。
正直、聞き取れるかも慣れでしかないのだ。
自分が全然理解できなくても、その集まりの中では通じ合ってるなんて簡単に起こり得てしまう
そのため、色んな音を聞き慣れている人が強く。
ある意味、諦めが良い人の方が場に怯まない。
自然とよく聞こえている音が分かりやすくなっていくのだから、悩んでいたって仕方もない。
その前に全部許容し受け入れるしかない。
こう言うと、大袈裟に思われるかもしれないが精神性も訛りに慣れるのに大いに影響するのだ。
テキスト通りの綺麗な発音ばかり聞いていても、現実は多くの訛りがあり、慣れていなければ全く分からないのは当たり前
いちいち落ち込むべきではない。
そして、自分の音も相手にとっては訛りが必ずあると自覚も必要。
お互い様のはずに決まっている。
「基準」がどうしても違うので、、
英語圏で産まれていてもそうなのだから……
こういう事書くと、発音は軽視しても良いとか思う人がいるのでいちお書いておきたいけど、全くそういうわけではない。
皆んな違う訛りがあるはずだけど、なるべく意思疎通が図りやすくするために発音の練習をし基礎を振り返ろうという話なのだ。
発音に気をつける事は、互いの気遣いの問題だと思う。分かりやすくするための心がけである。
それを証拠に、訛りがあっても聞くのが困難なレベルの人とそうでない人がいるのが、英語を使うようになると理解できてくる。
全く気遣いしない人は、低俗な人であることは珍しくない。
訛りを気にしすぎても良くないが、それを踏まえて発音を洗練させていく努力はすべきそういう話になる。
訛りを気にしすぎて、口から出せなくなる。そんな馬鹿馬鹿しいことはないんだ。皆んな「基準」が違うので訛りがあるし消せることはないからだ。
重視するのはそこではない。
訛りを気にする事について。もう一度、よく考えてみてほしい。
いるのは伝えるという心がけなのだ。
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英語上達のヒントとか。
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