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鳩山での暮らし、まちづくり、インターンシップ、その先は。「面白そう!」に、飛び込んでいくー山川綾菜さんインタビュー

ーはじめに、自己紹介をお願いします。

山川綾菜です。三重県四日市市出身の大学3年生で東京大学の法学部に所属しています。高校生までを地元で過ごし、大学進学を機に東京に来ました。

ーありがとうございます。今はどのようなことをされていますか?

現在は埼玉県の鳩山町にあるシェアアトリエで暮らしながら、大学の授業をオンラインで受けています。3年生になってから就活を見据えて中長期のインターンシップを探していて、東京だとコロナで外出もしづらいので地方に行きたいと思っていました。幸運にもちょうど埼玉の企業で長期インターンをさせていただける運びとなり、東京と埼玉の2拠点生活を始めました。空間づくりやまちづくりにも興味があって、鳩山にあるコミュニティマルシェのシェアキッチン事業にも参加しています。「自分が居心地良い空間って何だろう?」と日々模索する中で、せっかく鳩山にいるなら何かしたいと思って、実験も兼ねてやってみています。それから、小さい頃から野球が大好きで、趣味で毎週末女子野球チームで活動しています。

ーインターンシップはどのようなことをされていたのですか?

温泉道場という会社で、2か月間、社長のスケジュールに同行させてもらいました。温泉道場は”おふろから文化を発信する”"地域を沸かす"ことをミッションに温浴施設や宿泊施設などを運営しています。
温泉道場の店舗は地元にもあって、オープン時から空間の作り方やデザインが大好きで。遊びに行く予定だった日にちょうど会社の説明会があるということで、作っている人たちのことや会社の裏側を知りたいと思い、いちファンとして行くことにしました。そこで事業や考え方など聞けば聞くほど興味が湧き、社長のかばん持ちのようなかたちでインターンをさせていただけることになりました。場所が埼玉の越生で、東京からは通いづらいため、埼玉でも住む場所を探して、せっかくなら人と関わりたいのでシェアハウスを探して拠点としました。
社長の同行ということで銀行との契約から商談、会議までどこでもついて行っていたので、周囲の人からは「あなたがいるということは社長もいるんだね」と言われるほどでした。
社長には業務の合間を縫って話せる時間も作ってもらって、働くということやビジネスに関しての知見の基盤をもらった、とても貴重な経験でした。
その後は、温泉道場がオーナーとなっているプロ野球チームに主に関わらせていただきました。

ーインターンシップがきっかけで鳩山に住んでみて、町の印象はどうですか?

鳩山はニュータウンで移住者も増えていて、東京よりも人と人との距離感が近いように感じます。私はそういう場が好きで楽しいし、何かが生まれそうでわくわくする感じがありますね。珍しい事例なのですが、藝大の先生が入り込んでまちづくりをしていたり、最近ではアートに関わっている人が増えていたり、面白い人が集まっている町です。
私の地元は田んぼと畑に囲まれた自然豊かなところで、地域の人たちのつながりが強い小さなコミュニティでみんな顔見知りでした。なので人とすれ違う時は必ず挨拶をするし、東京に来てからは何も言わずにすれ違うことに違和感を覚えました。今住んでいる鳩山は、私の地元と東京の中間のような雰囲気があります。町の規模としては小さいですが移住者の方も多いので心地良い距離感です。

ーまちづくりにも興味があってキッチン事業もやられているということですが、綾菜さんも料理が好きなんですか?

料理人になりたいという訳ではないのですが、料理は好きだし自分の料理で誰かに喜んでもらえたらうれしいなという気持ちとはあります。同じように、料理が好きだったり、自分の手料理を誰かに食べてもらいたいと思っていたりする人はいっぱいいるはずで、毎日違うものを食べられたら毎日マルシェに来る用事にもなるので自然と人が集まります。飲食店というより、地域の人が少しずつ入ってくることでできる人の輪や、場の面白さに興味があります。
ひとつの店舗を持つだけでなく、色んな飲食店のかたちがあっていいと思っていて、つながりの場として、色んな場所で料理を作ってみたいです。

ー法学部の勉強に、地域の活動に、スポーツに、、、と幅広い分野に興味を持たれていますが、進路はどのように決められたんですか?

高校生のとき将来の進路についていろいろと調べているうちに、たまたま緒方貞子さんのことを知りました。そこで国際公務員(国連職員)というものを知って、かっこいいなと思って、将来の夢として国連を目指すようになりました。そのキャリアパスとして、NGOや省庁を思い描いていました。
しかし高校3年生の大学受験前に精神バランスを崩してしまっていて、勉強が思うように進まず浪人しました。センター試験を受けたもののあまり勉強時間も確保できなかったのでぎりぎりのところで落ちてしまい、浪人するか、海外の大学に切り替えるかで迷っていた時期でした。

ーそうすると、もともと海外への興味があったのですね。

高校で国際科学コースに進学したので、それから海外への興味が強くなりました。私が通っていた高校は文科省のSGH(スーパーグローバルハイスクール)に認定されている学校で、海外で活躍している人や留学生の話を聞く機会が多く、海外が身近になっていきました。自分が知らない世界だったこともあって、将来そういうところで何かできたらなあと。進路については「海外の大学」というよりは日本に限る必要はあまりないと思う中で、どっちがいいんだろう?とフラットに考えていました。最終的には東大を目指すことに決めました。

ーそれで改めて受験勉強を始めたんですね。

実は私、あまり真面目な受験生ではなかったんです。(笑)
一般的に受験生の1年間って大事だと思うのですが、私としてはずっと予備校に行っててもしょうがないし、浪人の期間を「もう1年地元にいられる時間」として捉え直しました。高校生までは部活と学校で手一杯で地元で過ごす時間が少なく、色んな活動に声をかけてもらっていたけどあまり参加できていなかったので、受験勉強もしつつ、地域でこれまで取り組んできた人権関連の活動にも積極的に参加しました。その頃の人たちとは今もつながりが残っています。

ー浪人の期間を「もう1年地元で過ごせる時間」と捉え直せたのは素敵ですね。人権関連の活動に参加したのはどのようなきっかけだったんですか?

もともと、私の地元では地域的に人権学習に力を入れて取り組んでいました。メインは同和問題、ほかにはLGBTや障がい者についての学習があって、小中学校では自分たちでシナリオを書いて劇をやっていました。高校以降も部活や受験勉強で参加できる機会は少なかったですが青年会に所属して活動は続けていきました。高校以降は運営側に回り、定例会議の議題を決めたり、どう人を集めるかといったアイデアも考えていました。

ー学生時代のお話を聞かせてもらいましたが、高校生になるまではどのように過ごされていたのか教えてください。

今では意外と言われますが、小さい頃はかなりの人見知りだったんです。
スポーツが好きだったのと、お母さんが野球好きで、いつも家で野球中継を見ていました。その影響もあって私も野球をやりたい!と思い、小学4年生から地域の少年野球に参加しました。
しかし野球チームは女子一人でチームメイトとうまく関われず、加えて人見知りだったので周囲の人とコミュニケーションをとるのに苦労して半年でやめてしまいました。野球チームをやめてからも野球自体は好きだったので、自主練は続けていました。中学・高校ではバスケ部に入っていたのですが、野球への想いは消えなくて、大学に入ったら野球をやろう!と決めていました。

ー人見知りだったんですね、それは意外でした。克服できたタイミングやきっかけのようなものはあったのでしょうか?

これ!というきっかけはなく、少しずつでしたね。役割によって少しずつ話していく、場を作っていけるようになったイメージです。
小学校高学年での学校行事のまとめ役や中学での学級委員の活動を通じて、だんだんと人前に出ること、クラスをまとめたりすることが面白いと感じるようになりました。みんなが協力してくれて、チームでひとつのことができたのが嬉しかったです。クラスを良くしていくにはクラスの子や先生など外の人と話さないといけないし、自分の役割によって人と話すこともできるようになりました。
高校の学科には同じ中学から進学する人がいなかったので人見知りなんてしている場合ではなくなり、色んな人と関わりながら過ごしました。2年生になってからは名古屋で開催されていた学外のイベントにも参加し始めました。他の学校の人や大学生、社会人と話すようになってからは「人見知りで人と話さないのはもったいない」と思うようになったほどです。

ー徐々に克服していったのですね。高校生の時に参加された学外のイベントはどんなものだったのですか?

「世界を変える日本人はキミかもしれない」という大学生と若手社会人メインの定例イベントです。
”面白い大人たちと交流してみんなのやる気を高めよう””若者の可能性を発掘しよう、枠を外すきっかけにしよう”みたいな趣旨で、エネルギッシュな大人たちに出会い、刺激をもらいました。当時は高校生で他の学校の人や大学生、社会人との関わりはあまりなかったので、楽しくて、部活が終わった後電車で名古屋まで通っていました。イベントには国内外で起業している人などもいて、私にとってはエネルギーをもらえる場所でした。

ー地域や学校の内外で取り組んできたことが今の活動ともつながっているのですね。では、今一番力を入れていることは何でしょうか?

一言でいうと、迷走中なんです。
大学1年生では行政寄り(国家公務員)の方と関わらせてもらう機会が多かったのですが、コロナ禍で大学関係の関わりが薄くなり、そのような分野の関わりも少なくなりました。代わりに民間の方と関わる機会が増え、「がくしゃか」というオンライン交流イベントに参加したことがきっかけで、民間の企業やビジネスについても触れる機会が相対的に多くなりました。
その後も参加者の社会人や民間企業に関心がある学生とつながり、話をしていく中で思ったのが「いったん国連へのこだわりを外してみたい」ということです。そしてせっかく埼玉にいるので場づくりやまちづくり、何かをシェアすることをやってみたいと思いました。鳩山に住んでから、海外だけでなく日本も面白いんじゃないかと気付き、いろんな地方を見て回りたいと思うようになりました。

ーそうなると、当初描いていたキャリアプランとだいぶ変わってきますよね。今後はどのようなことをやっていきたいですか?

今後はひとまず1年間、自分の活動に力を入れてみたいと考えていて、今年の3月以降は休学する予定です。今はオンライン授業でなんとかやれていますが、今後は学部の勉強と今の活動を両立させるのは難しいかなと。1年間のうち半分くらいは地方を回り、これまで地方創生やまちづくりの活動で出会った人たちのところへ行ってみたいです。特に北海道でタイニーハウス(プレハブ小屋の小さい家の暮らしの実証実験)で暮らしている知り合いを訪れたり、移住者が多い地域を回れたらいいなと。

ー休学されるのですね。残りの半年のプランはありますか?

あと、私はアフリカが大好きなんですが、残りの半分はヨーロッパと自分が大好きなアフリカに行きたいと考えています。
アフリカに興味を持ったのも、地域で取り組んでいた人権問題の学習がきっかけです。紛争問題や人道問題について触れるうち、アフリカの情報に辿り着いて関心を持つようになりました。
研究書を読んでアフリカの社会制度や政治制度を知って、それらがこれまでニュースで触れていたアフリカの情報とは全く違うことに気付きました。アフリカでは日本やアメリカ、イギリスなどとは違った民主主義や制度があって面白いんです。大学ではアフリカに関心のある人が集まる学生団体に参加し、文化や言語の魅力を発信したりしています。
2020年2月には学生団体のメンバーでガーナを訪問して、学校や病院、国連の機関、現地で活動している日本人を訪ねたり、現地の大学生とディスカッションをしたりしました。首都~地方まで訪問し、観光も含めて2週間ほどの滞在でした。
ヨーロッパはドイツやデンマークのまちづくり、デジタル化の話が気になっているので見に行ってみようと思います。
そのあと自分がどうしたいかはまだ何も決めていないし、大学に残るのか、公務員になるのかといったキャリア面も定まっていないですが、新しく芽が出始めているような、面白そうな匂いがするところを訪ねて、自分が感じることを大事にしたいと考えています。

ーでは最後に、綾菜さんが大切にしている価値観やこだわりがあれば教えてください。

大切にしていることは、自分の感覚を大事にすること、感受性に敏感になってあげることですね。これまでも、その時々で「面白そう!」とピンときたことに飛び込んで、自分の感覚の精度を上げることをしてきました。色んなことをやっていて、たまに「自分は一体何をやってるんだろう」と思う時はあるけれど、自分はこれが好きなんだとか、いいと思っているものに気付ける自分でありたいです。自分の気持ちに敏感でありたいと思っています。

最近、自分が何に価値を感じるか実感したことがあります。
毎週日曜日に趣味で野球チームに参加しているのですが、埼玉に引っ越したこともあって始めた頃よりも距離が遠くなり、今では往復6時間かかるんです。何で毎週そんなに時間を使っているのか、悶々と考えていたのですが、あるとき、日曜日だけ時間を気にせず何もしない日にしようと決めたら吹っ切れました。
その野球チームは高校生から40代の大人まで色んな人がいる多様性の固まりみたいな場で、大学では会わないようなコミュニティです。そこが気を遣わずにいられる空間であり、居心地のいい空間だと感じていて。大学はある程度似たような人が集まるので居心地は良いけれど、野球チームでしか会わない人たちとの居心地が良いのは不思議だし、そういう空間に価値を感じるのだと気付きました。週に1回そういう日をつくるのがいつの間にか自分にとって大事なバランスになっていました。
地元は地元でコミュニティが続いていて、予備校時代にできたコミュニティもあるし、色んな場所にコミュニティや空間があるのは貴重だなと思いました。今、居心地が良いなと思える場所や、そのままの自分でいられる場所も大事にしたいです。

ー「感覚」や「居心地の良い空間」がキーワードですね。

そうですね。それから、将来的に何かしら社会に還元できるようになりたいです。
自分はこれまで色んなものをもらってばっかりだと思っていて、温泉道場のインターンのときもとても貴重な経験をさせていただき、何か返せることはないかと思って自分なりに提案をしたり、野球チームの分析作業を手伝ったり。
でもそれだけでは本当に足りなくて、もらったご恩を返していくなり次の人に渡していくなり、何らかの形で還元していかなければと思っています。自分の周りだけでなく、もっと多くの人の役に立つことにつなげていきたいです。

ー色々な場所に飛び込んで、幅広く積極的に活動している経験はきっと多くの人の役に立つと思います。お話を聞かせていただきありがとうございました!

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