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コンプレックスと共に生きていく

小学校高学年に上がったくらいから、女の子と過ごすのが苦手になった。よほど信用できる相手を除いては、他は全て不信感しか持てなくなった。中学に上がるとそれはもっとひどくなり、新しい友だちができても、不信感がいつも根底にあった。

何がそうしたのかは、理由はとても単純なことだ。幼馴染だった女友だちからの衝撃的な発言を聞いてしまったことが原因だった。

幼心の嫉妬心

今でこそ、ボキャブラリーが少ないうえでの幼稚な言い回しだったと理解できているけれど、当時はそれはそれは本当に鈍器で後頭部を全力で殴りつけられたようなほどのショックだった。

簡単にいえば、従姉妹のいない幼馴染が、私に仲の良い従姉がいたことの羨ましさから出た言葉だった。けれど、羨ましさは時に妬ましさ、憎らしさと混同してしまう。ましてや、感情を適切な言葉で表せる年代でもなかった。そのため、彼女はいわゆる"言い過ぎて"しまったのだ。

その発言は、直接私に向かって言ったわけではない。その時、一緒に遊んでいた私の従姉に告げたのだ。私が聞いていないと思って、彼女がポロリとこぼした言葉だった。

「ほんまは、みかちゃんのことが大嫌いやねん」

それが本気だったのかどうかはわからない。ただただ、私にとって相当にショックが大きかった。私の中で、彼女へ抱いてきた信頼も信用も好意も全部、ビリビリに引き裂かれてしまったような、粉々に打ち砕かれてしまったような、そんな衝撃波が体中を駆け巡った。

普段の私だったら「どんなとこが?」と直接本人に確かめる。それさえもできなかった。それ以上の言葉を聞くのが怖かったのだ。だから何も言えなかった。私は聞いていないふりをして、その場をやり過ごした。

それは遊んでいる最中の出来事だったので、もしかしたら聞き間違いかもしれないとも思った。けれど、その帰り道。彼女の告白を聞いていた従姉に恐る恐る確かめてみた。

「○○ちゃん、嫌いとかなんとか言うてへんかった?」

少しの間があってから、従姉は困った顔をして言いづらそうに答えてくれた。
「……言うてたね。何であんなこと言うたんやろうね」
従姉も、どちらかといえばハッキリとモノを言うタイプだった。ドライなところはあるものの、無駄に親切ではない。それが私にとって従姉を信じさせる根拠でもあり、好きなところでもあった。

そのあと従姉は私に、慰めの言葉をかけてくれていたのだが、正直なんて言われたのか覚えていない。その時の私は、あまりの衝撃に従姉妹の言葉もまともに耳に入ってこなかったからだ。覚えているのは、帰り道のアスファルトの映像だ。おそらく、ぼんやりとしたまま視線を足元に落としていたんだろう。なぜそんなことを言われたのだろうかと、悶々と考えていた。けれど、答えは出なかった。

次の日、学校であっても幼馴染は相変わらずで、私は混乱した。いつもなら、どちらかともなく遊ぶ約束をするのだが、私は言い出せなかった。言っていいのかもわからなかった。そして、彼女も言わなかった。それから少しずつ、遊ぶことも少なくなった。でも、学校では変わらず、普段通りに話しかけもしてくるし、笑って過ごすことも多かった。私は、ますます混乱した。

今になって思えば彼女の親せきは男兄弟が多く、私のように従姉がおらず、従姉への強い憧れから出たヤキモチみたいなものだったのだろう。その後も私は彼女に、なぜあの時あんなことを言ったのか、確かめることができなかった。だから、これは私の憶測でしかない。長い付き合いのなかで、私は彼女が強い執着心の持ち主であることを知っていた。だから、長年悩みに悩んで出た(憶測だが)答えに、妙に納得できた。

今でも道すがら会えば「久しぶり!」と互いに声をかけ合い、会話もする。さすがに連絡を取り合うことはなくなってしまったけれど、会えば元幼馴染としてお互いに接する。だからこそ、思う。

当時の私に、配慮が足りていなかったのは事実だ。私もまだ子どもで、彼女の強い憧れを理解しきれていなかった。羨ましさを感じている彼女の目の前で、私は従姉とじゃれ合っていたのだ。無神経だった。けれど、その答えに辿り着く前に、私は自分から心を閉ざした。

この頃から、私のなかの『女の子への不信感』は育っていった。

良くも悪くも目立つ子

学生時代、こんな子はいなかっただろうか?

特別容姿が優れているわけでもないのに、なぜか目立つ子。
特別な理由が思い当たらないのに、目を引く子。

自分でいうのもなんだが、私はそれに近かった。目立とうと思っているわけではないのだが、気がつけば先頭に立っていることが多かった。やきもきした結果、自らが先頭に立つこともあれば、知らぬ間に先頭ポジションに押し上げられていることもあった。それは、社会人になっても変わらなかった。

20代のとき。職場の先輩に言ったことがある。
「もう先頭に立つのは嫌だ」
返ってきた答えは、なんとも嬉しくない答えだった。
「無理やな。あんたは、良くも悪くも目立つ子やから。諦めな」

自分が望む・望まないに関係なく、そういうポジションに付くようになっているんやとも言われた。だから、そういう人間だと受け容れろとも言われた。

それを言われて、私は確信してしまった。それまで「そうなのかもしれない」とは常々思っていた。そんなつもりがなくても、先頭ポジションにいつの間にか立っていることがほとんどだったから。人前に立つことが嫌いだったわけではないが、疲れるのだ。他人の心の機微が透けて見えるせいか、いろんな人の顔を見て調整することに精神を消耗する。ただそれが嫌だったのだ。舞台の上にいる間はいい。観客や聴衆の顔をどうやってこちらに意識を向けさせてやろうかと思えるから。けれど、そうじゃない場面では、精神的疲労感が半端なく大きい。だから、できるだけ大人しく過ごそうと、自分なりに努力もした。

けれど、どんなに抑えようとしても、人というのはそうそう変わるものでもない。もともとのフットワークの軽さが、いつも仇になる。「こうすればいいかもしれない」「こうしてみよう」と思えば、すぐに行動に移してしまうのだ。数人で何かを決めることになっても、なかなかまとまらなければ、時間が無駄だと思ってしまい、結果的に場を仕切ってしまうこともある。

性格的なものも大いに関係しているのだろう。その集大成が、医療事務時代のリーダー着任だったかもしれない。

考えてみれば、保育園の頃からそうだった。みんなで遊ぶときにも、気がつけば友だちはみんな私の後ろについてくる格好になっていた。小学校のときもそうだ。前出の幼馴染も、いつも私の後ろにいることが多かった。自分では誰かを振り回していたつもりはなかったが、もしかしたらそんなところも彼女の気に障っていたのかもしれない。

上手に同世代女子とつきあいができない

自分自身、自覚している。どうも私は、同世代の同性からあまり好かれないみたいだ。もとは私の『同性への不信感』があるのだと思うが、へんに悪目立ちするせいか、同世代女子と上手くつきあえない。いつもそうだが、どこにいても必ず誰かに目の敵にされてきた。ただ、ありがたいことに、彼女たちは私に危害を加えてくるようなことは一切なかった。

年下からは懐いてもらえることが多く、年上からも可愛がられることが多かった。けれど、同世代だけはどうも上手くいかないのだ。

保育園のときは、私にだけ頻繁に嘘をつく子がいた。私はいつも騙されては泣いていた。嘘をつく理由は「羨ましい」だった。

小学校でも、困らされることがあった。約束をすっぽかされて、何時間も待ちぼうけをくらったこともある。(当時は携帯電話などなく、公衆電話しかなかったが、たいてい待ち合わせ場所に電話がない。)中学校では、私から距離を取ることが多かったからか、大して困ることはなかったが、それでも「なんで、あんたばっかり恵まれて」みたいなことを言われたこともある。

容姿も大して良いわけでもないし、モテてもなかった。その頃の私のとりえは、そこそこ上手く絵が描けることと学力の高さだけだ。体はいつ死ぬかわからないからと、運動もドクターストップ。母子家庭から脱した(これも数年後に元に戻るのだが)とはいえ、親子関係が上手くいっていたかといえば表面上上手くやっていただけで、家庭内は崩壊しかかっていた。

金銭的には恵まれていたとは思うが、羨ましがられる要素などないに等しかったのだが、思春期とは残酷なものだ。どれか一つでも自分より秀でていると感じるものがあれば、それだけで途端に妬みや嫉みの対象になってしまうのだから。これも、自分の持っているものに目が向いていないからこそなのかもしれないけれど。(私からすれば、死亡宣告されない健康体の中学生というだけで憧れの対象だったのだが、彼女たちにはわかるまい)

高校に入れば、女子のバカげた『お友だちごっこ』から解放された一方で、やたらと私を模倣する女子がいて、卒業までちょっと気持ち悪い思いをした。

デザイン系の専門学校に進んでからは、今度はやたらとライバル視されて、いつも「私が」「私のほうが」とマウントを取りに来られウンザリしていた。

たぶん、私と似たような経験をした人は世の中にいっぱいいるだろう。私よりもずっと大変な思いをしてきた人もいるだろう。だから、私は自分を被害者だと思う気持ちもないし(実際に私が一方的にしんどいと思っていただけで)、私を目の敵にしてきた人たちにもそれなりに理由があってのことだ理解している。

それでもやっぱり、私は同世代の女性と今でもあまり上手につきあえないのは、苦手意識を積み上げて来すぎたのだろう。そして、それは私の劣等感にもなっている。

間違った努力

上手く関係を築けないままでは嫌なので、どうすればいいのかと考えてみた。今もまだ実験の途中ではあるのだが、正直いって状況は芳しくない。もうある種、諦めの境地に入りかけている。

私は、自分でも相当自覚しているが、ハッキリいって女性的ではない。どちらかといえば男性寄りなのだと思う。女友だちから、よく「相談したい」と持ちかけられるのだが、女性の"相談"はたいていが"聞いてほしい"なのだ。でも、私はつい解決策を考えようとしてしまう。共感するからこその対応なのだが、彼女たちは聞いてほしいだけで、解決策とか建設的な話はお呼びでないのだ。

しかも、ダラダラと愚痴や噂話、悪口を聞かされ続けるのも、あまり好きではない。いや、これはかなりオブラートに包んでしまった。この際だから、ちゃんと言っておこう。何の行動も選択せずに出てくる愚痴や悪口は聞きたくない。これが本音だ。相手には悪いが、時間の無駄だと思ってしまう。

ましてや、それを延々と何時間も聞かされるのは、ストレス以外の何物でもない。思わず「帰っていいか?」と聞きたくなってしまう。だが、これに耐えて「うん、うん。そうだよね」と同調することが、同世代には必要なのだろうと考え、実際にやってみたこともある。とはいえ、思ってもないことに同調などできず、つい「それ違うんちゃうん」と突っ込んでしまう。そこでさらに彼女たちも「でもな~」「だってな~」と、次の手を放ってくる。ずっと同じような話が展開されていく。堂々巡りだ。

私のパワーが、生気が、MPが消費されていく……。

そして数日経てば、また同じようなことで連絡が来る。私の努力は1ヶ月も保たなかった。今ではもう、そんなことでは連絡は来なくなったが、おかげで"友だち"がかなりいなくなった。(そもそも相手にとって、話し相手であり"友だち"ではなかったのだろう)

わかったことは、自分の感情を遠慮なくまき散らして自己調整をするタイプとは、どうも私は相容れないということだ。我慢しすぎてしまう人には、ちゃんと吐き出し口になれる(むしろ、率先して聞き役に回る)のだが、前者のタイプにはエネルギーが吸い取られてしまうから、正直関わりたくない。

そんなスタンスでいこうと決めたとき、同世代女性から言われた言葉が印象的だった。

「みんながみんな、あんたみたいに強くないねん!」

まるで悲痛な叫び声にも聞こえた。これは私に結構刺さった。私の言葉や態度が相手を傷つけていたのだと、初めて知った。これまでの自分は独りよがりでしかなかったということだ。これには申し訳ない気持ちになった。

だが、やっぱり私にとって『生産性のない愚痴』『自分が優位に立ちたいだけの悪口』は無価値に変わりなかった。そして『強い』と表現されたことも痛かった。

「強さ」とは

比較的、私は精神的な意味で「タフだね」「強いね」と表現されることが多い。別にそれはいいのだ。自覚しているし、そう在りたいと生きてきたから。ただ、先述した「強さ」に関しては違う印象を持った。だから、胸が痛くなったのだ。

私が追い求めている"強さ"は『自立するための強さ』だ。でも、彼女たちが求めてきたのは『自己開示する強さ』だった。

彼女たちからすれば、『弱い部分や脆い部分』を見せない私は、自分たちとは異なる"異次元の人間"に見えていたのだろう。そんなわけがない。私も人間だ。あなたたちと同じように、悩みもあれば、弱い部分もある人間だ。ただ、それを見せないだけだ。

私にとってそれを見せられるのは、極々限られた相手だけだ。そういえばきっと「信じられていない」と思われるのかもしれないが、まあ極論をいえばそうなのだ。私のなかで"見せてもいい"とジャッジしていないから、見せていないだけだ。

理由は簡単だ。人の都合もお構いなしに「でも」「だって」とすぐに自分の話題だけで話を終始させようとする相手に、見せて何になるというのだ。ベラベラと他人の悪口を吹聴する相手に、弱みを見せたところで、私に何の得もない。むしろ、私の知らない場所で話のタネにされるのがオチだろう。

自己開示が苦手という自分の劣等感を刺された時は、さすがに痛かった。だが、苦手でもそういう相手が一人でもできれば、その痛みも随分と和らいだ。たぶん、私は根底に人間不信が息づいているのだ。

でもそれが悪いことだとは思っていない。人間不信だろうと、全ての人類に対して不信感を持つのと、一部の特定の人間だけを受け容れられる不信感では、大きな差があるだろうから。

信じられる人がいる。だったら、その人たちに自分の内側を見せればいい。答えはとってもシンプルだった。ただ、そういう相手と出会うのが、難しいのだけど……。

きっと私はこれからも、いろんなコンプレックスを抱えて生きていくんだと思う。けど、それでいいのだと思う。そうやって悩みながら、あーでもない、こーでもないと試行錯誤を繰り返しながら、残っていく人たちを大切にしたい。

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