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方言AI episode0ーそれは「学者なんてクソ」から始まったー

 筆者は現在、医療・災害現場向けの方言AIを制作中である。このノートでは「なぜそんなことをしているのか」などを書く。

1. きっかけは熊本地震

 2016年。熊本地震が発生した時、筆者は東京の研究所にいた。テレビは緊急番組に切り替わり、次々と熊本の現状が映し出される。変わり果てた熊本城、崩れた阿蘇の斜面、崩落した橋、ひっしゃげた集落、殺伐とした避難所。
 熊本出身の筆者は、家族や友人と連絡をとるのに必死だった。
 そんな時、研究界隈のメーリングリストに、方言支援を呼びかけるメールが届いた。その主旨は、県外から入る支援チームに方言が伝わらない可能性があるから、方言資料を現場に提供しようという主旨であった。東京にいながら熊本のためにできることは限られている。私は急いで災害義援金を入金したあと、その作業に加わった。

 しかしほどなくして、私はその作業から距離を置くことになる。

2. 祭り

 以下、失礼な発言もあるので先に謝っておく。すみません。でも、正直に書きます。
 方言支援作業は、ある種の異様な熱気のもと、急ピッチで進められた。これまでにない頻度で飛び交うメール、方言語彙の提供や翻訳が呼びかけられ、それに応える専門家の先生達。夜中まで作業をする編集の先生達。
 みなさん本当に善意で、熊本のために、時間と労力をかけて下さったのだと思う。頭では理解している。感謝もしている。ありがとうございます。分かっています。
 でも当時の私には、その熱気が、熊本地震に便乗した学者の「祭り」のように見えてしまったのだ。
「今こそこの分野のちからを発揮する時だ!うぉー!」

 余震の速報が流れるたびに、家族は大丈夫か、友人達は大丈夫かと大きな不安とストレスがかかり、余裕を無くした。ねじれた私は「なに活き活きしてんだよ」と思ってしまった。
 県の記録によると地震後18万人を超える方々が避難し、2016年7月14日時点で死者55人、負傷者1814人。我が家はマシなエリアで、家具や物が壊れた程度であったが、益城等のエリアの知人の家は崩れた。役場や病院では、そこにつとめる友人達が過酷な状況で対策にあたっており、そして疲弊していた。避難所の小学校には、食糧も生活物資も足りていなかった。
 そこに届けられた、紙媒体の方言集。
 ーありがとう、でも違うんだ。今現地に届いてほしい紙は、それじゃない。トイレットペーパーなんだー
 方言集。医療や災害の現場は殺伐としている。両手が塞がっていることも多々ある。たとえ方言に困っていたとしても、それを悠長に開いて調べたり読んだりすることなんてできない。

 祭りと自己満だ。
 ひねくれた私の目にはそう映り、そして絶望した。「学者なんてクソだ」と。

すみません。

3. 教訓

 前節では当時の荒れた心境を吐露し、大変失礼した。私は方言支援が不要と言いたいわけではない。次節に述べるように、地方医療の現場には確かに「方言の壁」が存在し深刻な問題となっている。方言の支援自体は、必要なのである。
 熊本地震からの教訓は、その時になってから祭りをするのではなく、必要なツールは日頃から作っておこうということである。

4. 実在する深刻な壁

 ここでは、方言の壁を具体的に示すため、筆者が取材して教えていただいた実話から2つ紹介したい。

はちきたい

 鹿児島の若い看護師さんのお話。
 ある時、患者のおばあちゃんと話をしていた時、そのおばぁちゃんが「わたしね、ハチキタイんだよね」とおっしゃった。その看護師さんは、分からないなりに共感を示そうと、「そうですね」とうなずいたという。
 ナースステーションに戻り、先輩達にこの話をしたところ皆表情が険しくなった。
 そのおばあちゃんは、「ハチキタイ=死にたい」と言ったのだ。
 その若い看護師さんは意味を知り、分からずうなずいてしまったしまったことをはげしく後悔したという。

処置できない

 関東出身の救命士さんが地方で活動した時の話。
 地方の救命の場面では、ご高齢のかたが方言のみで受け答えすることが多々あるという。方言が分からないと処置ができないため、3人チームを組んで活動する際はできるだけ方言が分かる人を入れるようにするという。
 しかし、方言が分かる人がいない場合もあり、患者が言う身体語彙が分からないというケースもあるという。そのような時は、処置を間違えないよう体の絵を使って指差しで確認せざるをえないという。詳細な痛みの具合等が分からない時は、相手が筆談できる状況であれば筆談を依頼する場合もあるとのことであった。
 また、心のケアという面でも方言は大きいという。患者さんによっては、相手が方言を話せないと分かると口数が減ったり、心を閉ざしてしまうこともあるという。

 これらのエピソードからは、医療の根幹である正確な処置と患者に寄り添ったコミュニケーションを実現する上で、方言が障壁となりうることが窺える。

5.多様性共存のためのツールを

ここまでに「方言の壁」について述べたが、くれぐれも、方言が邪魔だという間違った認識をしないでほしい。方言は間違いなく守るべき地域文化財である。私達は、ことばの多様性を守りながら壁の解消を目指さねばならない。
 それではどうすれば良いのか。非常に長い前置きとなったが、ここで、方言ツールを平時から作っておこうという主張につながる。
 ことばが多様性であれば、前節に見た壁は少なからず存在することになる。それを乗り越える手伝いをするのは間違いなく学者の仕事である。
 ただしそれは、平時からやっておかねばならない。そしてそれは、自己満であってはならない。ユーザーの役に立つ形で提供しなければ意味がない(両手が塞がる現場に、有事の際に冊子を提供しても使えない)。

6.弊研究室の現在地

 ということで弊研究室では学生達と一緒に、まずは大学のある鹿児島の方言を対象に、スマホやタブレット等で手軽にかつ音声ベース(ハンズフリー)で使用可能な方言通訳ソフトウェア等を作ったりしている。

 この計画自体は熊本地震後まもなく構想したが、7年前当時は「何言ってんの」と冷ややかな目で呆れられたり、「無理っしょw」と鼻で笑われたりで終わってしまった。
 でも今なら…!生成系AIの台頭で、もう無理じゃなくなってきてるんですよ。簡単な文の通訳ぐらいならもうサックサクですよ。

 今は複雑な文の通訳や、方言会話の生成に挑戦している。年があけたら、臨床実験もやるんだから。他にも、今は言えないけど、産学連携であんなコンテンツやこんなコンテンツも構想中。

有事の際に祭りをしたくない。
自己満もしたくない。
そして見とけよ、7年前に笑ったやつ😤!

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