夢とかなくてもいい派のわたしより

Hola!かおりちゃん、元気?

(そういえば、こないだこの往復書簡についてインタビューされたとき、「いろんな言語を混ぜて書いていますよね」と指摘されたのだった。わたしは「(とくに冒頭の挨拶とかは)たぶん、ラッパーがよくわからないハンドシェイクで挨拶してるのと同じような意味合いです。言葉で遊んでる」って言っといた)

日本もアルゼンチンも、季節の変わり目だね。わたしはすっかりかぜをひいてしまいました。

なになに、かおりちゃんのNewプロジェクト!楽しみだなぁ。60万円?クラファンしたら1万円×60人でしょ?すぐ集まるよ!ひとって、夢を叶えるためにがんばってる誰かを応援したくなるものだもの。

昔からかおりちゃんは、「夢を持って、それを叶える」ことにフォーカスしてきていると思うんだけど、わたし、その感覚がやっぱりわからないんだよね。わたしが思う「夢」とかおりちゃんが使っている言葉としての「夢」も、微妙に違う気がするし...。

"Eat, Pray, Love"のエリザベス・ギルバートがこの動画で言っていたんだけど、たぶん、わたしは「ハミングバード」タイプなのです。大きな夢を見て、それを目標に突き進むパッションタイプではなく、好奇心に従ってあっちにヒラヒラ、こっちにヒラヒラししてる。そして、何かしらのアイディアが降ってきた時点でもう「予定」になるんだよね、「夢」とかじゃなく。そういうのがチョコチョコあるタイプなのかなと思っています。

とはいえ、やっぱりパッションタイプに憧れがあるわけで。いいなー、だってかっこいいもん。大きな夢って周りを巻き込む力もあるし、応援したくなるし、世間的にも通りがいいし(笑)、いいないいなと思って見てる。

それに、もしかしたら「大きな夢」を見ることを、無意識のうちに避けてる可能性もあるしね。かおりちゃんが言っていたように、「自分にはこのくらい」って思い込んでいるから、「大きな夢」が出てこないのかもしれないし。

かおりちゃんの師匠のようなひととか、「とりあえずやってみるか」でどんどん行く人々に囲まれてるって、だからとっても大事だよね。わたしもねー、最近、環境が固定してきちゃってるから、ここらでまた新しい環境に入ってみようかなと思っているところ。自分ではつい「枠」のなかで考えてしまうから、ひとの影響を(いい意味で)受けるって大事だなって。

そして、わたしはどうも自分のなかで大きな「気づき」があったときに魂が最高に喜ぶので、そんな瞬間をこの人生で何度も味わいたい。「これが叶ったら人生終わってもいいな」と思えることはわたしには(いまのところ)ないけれど、わたしがこの人生で味わいたいことのひとつがそんな「気づき」の瞬間なんだと思ってる。

ではでは、カフェの冷房がきつくて寒くなってきたので、ここらへんで。かおりジャパンツアーをするときは、早めに言ってね!予定空けとくから!

#日記 #エッセイ #海外 #往復書簡 #夢

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