海外に生息するお掃除のできない人たち

語学学校でタイから来ている留学生たちと仲良くなった。絶対に覚えられない長さと複雑な本名で、ニックネームはモーという女子だ。名前とはあまり関係なくニックネームを持つのがタイでよくある習慣らしい。

このモーがもうとんでもないお嬢様で自分の身の回りのことができないタイプ。ナニー(ねえやみたいな存在)に甘やかされて育ったとナニーのせいにしていたけれど、それにしても22歳の女子とは思えないだらしのなさ。彼女のアパートの部屋はもうぐっちゃぐちゃだった。聞いた話によるとモーが違うアパートに引っ越すことになったときは、引っ越し当日の朝も部屋はぐちゃぐちゃのままで大変なことになったらしい。

お嬢様のモーはこれまでの人生で掃除をするという経験がなく育ったのだと思う。実はアメリカに来てから驚いたのが、自分の部屋の掃除をしたことがなく育った、という人が多かったことだ。海外から来ている移民でもアメリカ人でも掃除経験ゼロで育った人は普通に存在する。

チリ人の友達は、

あー掃除するのは本当に嫌。チリだったら掃除人がみんなやってくれるのに。アメリカで掃除人を雇うのは高すぎるわー。

と嘆いていた。

残念ながらうちのアイルランド人の夫もこの仲間で、彼は生まれ育った家で自分の部屋を掃除したことがない。メイドがやってきて掃除をしてくれていたそうだ。なので今でも指摘しなければ掃除ができないし整理整頓はものすごく苦手。

そんな話をしていたら、アメリカ人の友達が、

僕の家もメイドがやってきて掃除をしてくれたから自分で掃除したことってなかったんだ。でも大学院に入って家を出たら、部屋の中がどんどん汚くなっていくのに気が付いた。それで自分で掃除しなくちゃ部屋はいつまでもきれいにならないんだってことがわかったんだ。

彼にとっては素晴らしい気付きである!日本なら小学生くらいで気が付いてしまう事実だが、彼が気付いたのは大学院に入った22歳の時。うちの夫にいたってはいまだにあまり気付きはないようで、掃除をしようと自ら行動することはほとんどない。

社会の格差がはっきりしているからかもしれないけれど、掃除は使用人がやっている、という家庭は少なくない。プライベートジェットを乗りまわすような超お金持ちじゃなくても、あたりまえのように掃除人を雇っている。掃除は使用人がやるものだ、という取り決めがあるかのように、私の友達や会社の同僚でも掃除人を雇っている人は多い。

日本とアメリカの大きな違いは、アメリカでは生徒が学校で掃除をすることはないということだ。小学校でも掃除はプロの掃除人が掃除をする。授業の後にでっかい掃除機やモップを抱えてお掃除部隊がやってくるのだ。放課後に生徒が掃除する日本の学校とはえらい違いだ。この経験から掃除というのは自分の仕事ではなく、誰かの仕事であるという認識が育つ。家に帰ってお掃除の人がやってくればなおさらだ。

でも少なくとも自分の身の回りのお掃除はできるようにしつけられるのがベストではないか。なぜなら掃除は料理と同様に生きていくうえでとても役に立つスキルだと思うからだ。




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