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ガガも金魚すくいもデジタルもアリ。令和工芸は、現代のアートだ。

 

令和工芸、と呼ぶのがなんだかしっくりくる。

戦後にでっち上げられた「伝統工芸」という概念がこじれにこじれた昭和。手工業が「ものづくり」、と平仮名で記され、手で作るものにやみくもなありがた感が醸成された平成。
「ものづくり」の「もの」って何ですかい? 
この言い方には、工芸の作り手も製品も(その良し悪しや必然性も)個別に評価や検討する必要なく、ただ手で作ってれば、なんでも有り難がたいです的なニュアンスがある。「もの」にも作り手にも失礼だし、そんなんじゃ、生き残れる技も救われない。

「和功絶佳」を見ると、令和の工芸は、個人作家抜きには語れない。いよいよ、手を使って作品(ものじゃない)を作る、現代のアーティストが並び立つ時代に見える。
作っている作家は現代を生きている人間なのだがらファッションやポップカルチャーともシームレスにつながっているのは当たり前。「ファッションと工芸の融合!」などと騒ぎ立てる必要あるか? 陶芸家がヒップポップ好きだと珍しいとする偏見の方が、どうにかしている。

工芸は歴史上いつだって、その時代の最新のテクノロジーだった。
螺鈿や蒔絵は荘厳のためのハイテクだ。出品作家の池田晃将は、これに現代の技術であるレーザーカッティングを使っているが、いまのハイテクと過去のハイテクは、見事に相性がいい。アートであり技術である=工芸の出自が、現代の作家意識で、つながったのだ。

記念講演会で、截金ガラス作家の山本茜さんが「『弟子はとられないんですか』と聞かれますが、この技術は私一代だけのもの。他の作家さんは、自分の表現を模索してほしい」と語っていた。

「代々受け継がれる」「ものづくり」ではない工芸のアート。観る人の眼と意識は、急いで追いつかないといけません。

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