自分の存在を誰かに知っておいてほしくて、わたしは創作をつづけているのだと思う。
今日、愛媛新聞に佐藤文香さんのことが載っていた。良い記事だった。
一年前の今頃も、私は詩をやり直したいと思っていたようだ。一年間、開くことのなかった詩のノートに記録がある。
聞こえなくなった鳴き声 捨て猫は迎えが来るのを待っていたのに
わたし死ぬだから拾いに来てほしい鞄と服と靴とお骨を
だれよりも私に失望してるのは私自身だ 今だけを生きよ
なぜわたし逃げるのわたし悪いことしてない生きているだけなのに
どうかしていたんだ私きみのためなら死ねるなんて冗談じゃない
物書きになりたいと思って、気がつけば20年くらい経っていました。中編小説を1篇書き、詩は数えたことがありませんが、数年投稿を続け、掲載されて評を得られたことは、創作を続けること以上の力をあたえていただきました。私には、できること得意なことがありません。勉強できない、部活やクラブに所属したこと、習い事をしたことが殆どない。社会にでて働いたことがない。 生きているだけで、いいと聞くけれど、そんなことを言ってくれる人が、この世のどこにいるというのだろう。創作は、私が生きて人であ
ローソンのレジ横にある揚げ物が生きろって言うことにしておく
短歌を考える。過去の引き出しが開きはじめたら、三十一文字を考える。今に目を向ける。悪意のある過去は削除できず、繰り返し思い出すけれど、短歌を考えて、短歌に置き換える。誰も救ってはくれないし、誰も救えないから、私が救うしかないじゃないか。もう悪意はいらない。悪意はないと思いたい。
ほんとうに辛い時には笑うのがあなたの特技だったと思う
鳥居さんの歌集「キリンの子」を読んでいる。
短歌をつくり始めて、1年が過ぎた。 去年は、大切なものをふたつなくした。 なくしものの、多い人生だった。 せめて十代までは、両手いっぱい抱えきれないものを 与えられ、零れ落ちるものを拾うくらいに生き、 少しずつ、少しずつ、年を取ってから なくしていきたかった。
紙で、皮膚を切った時のような、傷。 大袈裟にはできない傷も、積もれば。 なんと深い、深い傷なのだろう。 とりあえず貼った、絆創膏。 耐えられるはずがない。
社会でも学校でも、家庭でも、嫌なことを受ける、当たり前が、この世から一掃されたらいいのにと思う。