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広告観察を通して、イメージ/ジェンダー/経済の関係を考えよう

広告観察はイメージと経済の関係を考えること

TIP(TOKYO INSTITUTE of PHOTOGRAPHY)の企画で、オンライン講座を開催することになりました。以前より「メディア・リテラシーとジェンダー表現を学ぶ講座を作りたい」と考えていて、昨年から講義動画を収録してきたのですが、連続講座として開講する前のキックオフとして、YouTubeチャンネル、「いわなびとん」を運営する尾藤さん、TIPのギャラリーでディレクターを務める鈴木さんと一緒に企画することになりました。路上広告を観察して撮影した写真をもとに、参加者の皆さまとディスカッションをしたり、関連する広告を比較したり、調べたりして、日常生活のなかで頻繁に目にする広告の表現を掘り下げてみようというのが、この企画の趣旨です。
詳細はPeatixのページに掲載しておりますので、是非ご覧の上、お申し込みいただけると嬉しいです。

実際の広告観察の様子として、2021年11月に尾藤さんと収録した動画をご覧ください。

このサムネの吹き出しからもわかるように、広告観察の目的の一つは、広告に関わって費やされる「お金」、消費社会の中でイメージが数限りなく作り出される経済の仕組み、社会システムのあり方を考えること、ジェンダー表象がその仕組みの中に深く埋め込まれていることを理解することです。(「1週間で2000万円くらい」というのは、渋谷駅のハチコーボード周辺の広告エリア数点の掲載料の推定合計金額)
広告の生産に費やされるお金について考える、それらにどれほど影響(洗脳)されているかを理解することは、消費社会の中で私たちがどのように生活しているのかということ振り返ることにつながるはずです。ちなみに、尾藤さんと広告観察散歩をした頃の渋谷と新宿周辺は出前館の広告で埋め尽くされ、異様な雰囲気に包まれていました。

私たちは常に消費のイメージを脳内に注入されている

もともと、私は広告の専門家というわけではなく、美術館やギャラリーで仕事をして、作品の調査や展示の企画を行ったり、美術大学で写真に関する講義をしたり、写真家の活動や作品を紹介する執筆活動を通して、写真の「作品」としての価値を理解し、伝えることを仕事としてきた経験があります。写真に対する関心の持ち方が少しずつ変わってきたのは、ソーシャルメディアなどを通して公開されるイメージのあり方に関心を持ち、とくに女性の身体の表象のあり方とその受容について考えるようになった2010年代後半のことです。そのあたりのことは、タレントなモデル、歌手など著名な女性が妊娠中に撮影して公開するマタニティ・フォトについて書いた文章を「妊婦アート論」という本に寄稿しておりますので、そちらをお読みいただければと思います。

その後、ソーシャルメディア上の写真から広告へと関心が広がり、東京五輪開催前から急増していったスポンサー企業の広告や公共交通機関に溢れる脱毛の広告を分析して「脱毛広告観察」や「五輪広告の女神たち 「美しさ」と「強さ」の表象 」という記事を雑誌に寄稿したり、そこからさらに広告の中の男性表象に関心を向けるようになり、「「デキる男」像の呪縛を解くために」といった記事を書いています。
これらの記事で取り上げている写真の多くは、公共空間に掲出されている広告や、オンラインで公表されている広告のイメージであり、美術館やギャラリーで展示されている写真のプリント、また写真家の作品として編纂されている写真集のような書籍のように、長期間保管されたり、その価値が評価されているような「作品」ではありません。「作品」としての写真が、その価値を理解し、受容しようとする積極的な態度を持った鑑賞者の存在を前提とするものだとしたら、広告のイメージは、生活空間の中に溢れかえっていて、見ていることを意識していないうちに、いつの間にかさまざまな人の脳内に価値観を注入するような役割を果たしているもの、と言えるかもしれません。「作品」として評価され、価値づけられ、鑑賞に値するものとされる写真はごく僅かであり、消費され、存在することすら意識されていないイメージの方が大半を占めますが、それらもまた消費社会の価値観を刷り込むものとして存在し、機能しているのです。

視覚のノイズキャンセリング機能を外してみる


「広告観察」は、「普段は存在することすら意識していないイメージを注視してみる」ということでもあります。公共広告のことを話題にすると、「スマホの画面を見ていて、吊り広告やポスターを意識することはない」とか「スマホやPCを使うときも、有料のサービスを利用して、広告をスキップできるようにしている」という反応が返ってくることも多いですから、不快に感じられる広告、自分が消費者として対照設定されていないと思う商品やサービスの広告に対しては、意識の外に置く、背景化できるようにノイズキャンセリングをするのは心身の状態を保つためにも大切な方策と言えるでしょう。
しかし、この講座を通して敢えてご提案したいのは、「通常自分が採用している視覚的なノイズキャンセリング設定を解除してみる」ことであり、ノイズとして存在している(時には見たくない・不愉快な)情報のあり方を見つめ、その表現の特徴や構造を観察・分析してみるということです。また、お互いに撮影した写真を見せ合い、言葉を交わし会うことによって、「見方」の違いを意識するのも大事なことです。
正直なところ、ノイズキャンセリングをして意識の背景におこうとしているものを、あえて前景に据えて吟味するとは、結構面倒なことですし、広告のビジュアル表現や文言にイライラしたり、フラストレーションを感じることもあるでしょう。不快な気分になるものをなるべく見ないようにするという態度もアリなのですが、社会の変わり難い・問題を含んだ価値観や規範を押しつけられるままでいるよりも、それらに対して自分の見方や感じ方を示すこと、異議を唱えることも、長い目で見れば自分を守り、ひいてはそういった表現が溢れる社会を変える一つのステップになる可能性に繋がる、ということもあるのではないでしょうか。

「異議を唱える」というのは、ある表現の問題点を指摘して批判するということだけではなく、微妙な違和感を表明することで、自分のものの見方・感じ方を言語化して、周囲に伝えることでもあります。同じ空間を共有して、広告に接して情報を得ていたとしても、そこに何を見出し、読み取っているかということは人によって異なっているはずで、その反応の仕方、見方の違いを知ることの方がお互いを知り合い、豊かな関係を築く一歩になれば良いな、と考えています。



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