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追悼、須永朝彦

中学の頃、『ベルサイユのばら』で知ったサン・ジュストという美貌の革命家にハマったことがきっかけで澁澤龍彦の『異端の肖像』(これは当時の私の枕頭の書になる)と出逢い、この本に載っていたルートヴィヒⅡ世もまた、サン・ジュスト、ヘリオガバルスとともに私の3大アイドルとなったのだった。

そんなわけで当時はルートヴィヒⅡ世の関連本を妖しいBL漫画も含めて結構読んでいて、その中の1冊が須永朝彦の『ルートヴィヒⅡ世』だった。たぶん2002年あたりだったのだと思うのだけど、須永さんの名前はこの本で知った。『血のアラベスク』『日本幻想文学全景』あたりも好きで、それ以降も評論やらアンソロジーやらでよく目にしたので、私の中で「須永朝彦」は物凄い博識な在野の研究者・アンソロジストだった。

須永さんが昔書いていた小説を読んだのは結構あとで、2010〜2012年頃、のちに私を拾ってくださることになる某出版社の編集長(当時)に『須永朝彦小説全集』をいただいたことがきっかけだった。

色々と私の好みを把握し、もっと教育したいという気持ちであったらしい編集長は、三島由紀夫・赤江瀑・倉橋由美子・中井英夫等を好きな作家に挙げていた私にとって須永朝彦は絶対好みだ、と思ったのだろう。

それは確かに当たっていて、最初の短編『契 Der Vertrag』から、そのめくるめく耽美の毒に完全に当てられてしまった。

特にあの頃の私は、文学とは「(社会的に)役に立たない存在」であらねばならないという思いが強く、自分の生活にどんどん就活等のつまらない現実が入り込んでくることへの反発も相まって、さらにその意識を強くして行ったような時期であった。

そういう意味でも、須永さんの徹底して耽美的で不道徳な、俗世間から隔絶した貴族的世界観はぴったりとはまったのだった。

ルートヴィヒⅡ世は、フランスの太陽王ルイ14世に憧れつつも自身は太陽より月を愛し、もはや貴族も王も絶対ではなくなってしまった19世紀に暗い夢を見続けたババリア(バイエルン)の王だった。須永さんの小説の世界観にはルートヴィヒ2世の見た夢の世界に似たものを感じる。

ハプスブルクの血を引く大貴族の吸血鬼。天上的美貌と肉体的魅力で青年を奴隷化して餌にしてしまう天使。少年は夢を愛し、現実を教えようとする母を憎む。女は魔物でない限りは大抵俗物で、本当の美は男の中にしか存在しえないからこそ醜い男のことは女以上に蔑む。バットマンへの耽溺。フェティッシュなレザー。アンチ家族、アンチ絆、アンチ現実。

5月に須永さんの訃報をTwitterで知り、実家から持ち帰ってきた『須永朝彦小説全集』を10年ぶりに読むと、やはり妖しく美しい世界が広がっていて、そこに憶えた興奮にはもう一人の自分に再会したような懐かしさがあった。また当時は感じなかったあえてのキッチュさを感じて、これがまた良い。

私は貴族的な怠惰・豪奢・耽美は大好きだけど、その反面、粗野・非洗練・体制への叛逆も大好きだ。両方とも共通する部分があるので矛盾はないつもりではあるけれど、ここ最近は、中2病罹患前の自分の性質への回帰として、粗野な男っぽい文化を追うことの方が多かった。ちょっと須永さん的価値観からは離れていたのだ。そんな中で読み直した作品群。やっぱり私にとって、定期的に帰ってきたい世界だった。

「美貌の死霊--結構ではないか。」

耽美主義を貫いた須永朝彦さんに敬意を!


★NANASE★






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