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【ゲーム】僕らは仮想空間に何を求めるのか

先日放送された『Nintendo Direct』にて、”どうぶつの森”シリーズ最新作の情報が解禁された。

『あつまれ どうぶつの森』

最新作の舞台となるのは”無人島”。自然あふれる無人島での暮らしを通して、島へ移住してきた住民たちとのコミュニケーションやDIY生活を楽しむことがコンセプトになっているらしい。

...もはや、どうぶつの”森”ではない。ただそんなツッコミは今更だ。

NINTENDO64から続く”どう森”シリーズ、プレイヤーの活動領域は作品ごとにどんどん広がっている。

最初は村での生活を営み、人の村に遊びに行くことがゲームの主軸だった。次第に街へ繰り出すようになり、気がつけばキャンプカーでの生活まで行うように。

自分の村での生活だけでなく、他のプレイヤーが作る世界に足を運ぶことこそが、このゲームが提供する”仮想空間での暮らし”に他ならない。

”箱庭ゲーム”の代名詞的存在

僕は昔から、”どう森”シリーズを代表とする”箱庭ゲーム”が好きだった。

作品世界中のあらゆる場所でアクションを取り、言葉の通り”隅々まで”遊び尽くすことができる。
ストーリーに沿って一本道にマップを踏破していくのではなく、プレイヤーの自由が担保されたゲームシステムに心躍った。

『おいでよ どうぶつの森』では、街中を好きなデザインで埋め尽くした。
『ゼルダの伝説 時のオカリナ』では、愛馬エポナと共にこれでもかと世界中を駆け回った。
『モンスターハンターポータブル 2ndG』では、討伐対象そっちのけで鉱石を集め続けた。

5,000-6,000円程で買えるゲームの中に、時間を忘れていくらでも遊び続けられる、おもちゃ箱のような”広大な箱庭”が用意されていたこと。学生時代、多くの時間がこれらの仮想空間に注ぎ込まれていった。

広がり続ける、昨今の”箱庭”

大学生になってから、僕はゲームをする機会が減った。共にゲームを楽しんでいた友人と会う機会が減り、新たなコミュニティ、サークル活動での日々に時間を費やしていたからである。

数年間”ゲーム”の世界に目を向けていなかったうちに、僕の知らない共通語が生まれていた。それが”オープンワールド”だ。

オンラインゲームが日本で台頭していく中で、PCゲームを筆頭に”際限ない”仮想空間上でのゲームプレイが当たり前のものになっていた。

オンラインゲームでは、小さなソフト(カセット)の中に全ての情報を集積させる必要が無くなり”マップデータの容量上限”なんて気にする必要が無くなってしまったのだ。

僕が初めて『マインクラフト』をプレイした時の衝撃は忘れられない。
どれだけボートを漕ぎ進めても、新たなマップが生成されるだけ。世界に”終わり”が存在しなかった。
こんなのは”箱庭”じゃない。ただの”世界”だ。

“ゲーム”の一言で片付けられない仮想空間

僕にとって、”仮想空間”とはゲームの中での自由が許された”箱庭”的要素に過ぎなかった。なるべく広い空間で、好きに歩き回れれば満足していた。

どうやら昨今の”仮想空間”はそんなものじゃないらしい。Vtuberが仮想空間上でライブをしたかと思えば、実在するアーティストがゲーム『フォートナイト』の世界でライブをしてしまったりする。

※僕がとても好きな記事、ぜひ一度読んでほしい

”自身のアバターが動き回る”視覚化された仮想空間の中で、ゲームらしさからかけ離れた生活が実現されている。
「時代を先行しすぎた」とも言われる『セカンドライフ』が日常になるのも、そう遠くない未来の話であろう。

僕がかつて理想として描いていた“広大な箱庭”は、今では当たり前なものになっていた。
気が付いたら、僕の知見・理想像こそが狭い箱庭に閉じこもっていたのだ。

“どうぶつの森”の世界に求めるもの

“オープンワールド”を舞台としたゲームが当たり前のものになった現代において、“どう森”シリーズの今後について考える。

箱庭ゲームの先駆者として“自由気ままな暮らし”を提供することは変わらないだろう。ただ、増え続ける競合との差別化をどのように図っていくのか。

…“敵を倒してお金やアバターを獲得する”そんなコンセプトになったら興醒めにも程がある。闘うのは大乱闘の世界だけで十分だ。

“自由気ままな暮らし”を担保しつつ時代に即した目新しさを保つため、これまでの“どう森”シリーズでは少しずつ作品の舞台を広げてきた。

きっと今後も、その姿勢は変わらない。変わらないからこそ、根強いファンとともに長年任天堂を支えるブランドであり続けられるのだ。

つまり“どうぶつの森”は、競合との差別化を強く意識する必要が無いのだろう。

時代や技術の発展を急いで追いかけるのではなく、ゲームのコンセプトを貫き続けること。
“目新しさ”よりもブランドを優先することが、長年培ってきたユーザーに求められるはずだ。

“仮想空間”の魅力は、その広さや自由さだけではない。コンセプトを体現できるだけの広さやシステムが用意されていれば、ユーザーを没頭させる“おもちゃ箱”になれる。

これは個人的な意見に過ぎないが、何でもできる万能な“仮想空間”よりも、楽しみ方がある程度制限された“箱庭”の方が魅力的に感じる。

きっと僕の童心は、DSの中に作り出した“自分の村”の管理でお腹いっぱいになってしまう。

ゴキブリを家具で潰し、リセットさんに怒られる。村中の雑草を抜き続けた後で、エイブルシスターズのあさみさんに挨拶をする。

そんな暮らしに満足できてしまうから、僕には“どうぶつの森”の箱庭の広さが心地いい。

#コラム #考察 #ゲーム #どうぶつの森 #テクノロジー #コンテンツ会議

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