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073/365 QUANTAリトリート記録

一貫性がないヒトたちです、と言われて
一貫性とは?となった。

生きていればどんどん変わるんだから
一貫性なんてみんな無いでしょ?って気持ちがあるのと
一つ一つのモノゴトに関してそれは自分の中では積み重なっているので
それぞれにちゃんと一貫性があるのですが、
それは外からは無いように見えてるのですか?尋ねる。

無いように見えてます、とすかさず返ってくる。
外から見たらそうかもなという気持ちと、
世の中には一貫性保って生きているヒトがいるのか!?
と驚きを感じた。

一貫性という言葉にとらわれないで
自分という人を捉えてみると
脈絡がないように見える行動や、アウトプットのバリエーションが
人よりも多いのかもしれない。
そういう意味では一貫性がない(脈略がない)のかもなと思った。
頭がこんがらがってくる。
一貫性という言葉調べたい気持ちです、と思わず口にする。

問に対して応戦じゃ無いけど、MOTOKOさんに
疑問をたくさん投げかけた日だった。
だんだん私の本質的な部分にあきらめがついてきたからかもしれない。
この曖昧な感覚をたどる。
そうだったのか、わたしって。と思うことばかりだったけど
あんまり考えてもわからないから横においておくことも慣れてきたし
MOTOKOさんから告げられる、わたしの輪郭に興味があったし
私以外の人たちの輪郭にも興味を持った。

前回のセッションで告げられた
中身は小二男子ってことに、その後ずいぶん救われた。

それが純粋な手放しとなって、どうせ中身は小二だから無理だ、
考えるのやめとこう、どうせわかんないんだからわかったふりもやめようと
なってきたし。
今回に関しても疑問に思ったからどうして?他は違うの?って
素直に聞けるようになったのかもしれない。(今までは勝手にわかったふりをしたり、攻略本を照らし合わせて勝手に繋げて溜飲を下げていた)

輪郭がすこしはっきりしたから、私たちの問いへの疑問が素直に聞ける。
そういう変化もあるんだなと思った。
書いててほんと幼児の「なんで?なんで?」に
近いんじゃ無いかって思えてくる。

自分の素直さを素直に受け取っている。



セッションの翌日の夜
自分がいま力を入れたいと英語の勉強をやっていたけど
なんだかやっていても空回りしている感じがあった。
だけど違うことをするのも違う感覚もあり、
どっちなんだかわかんないというか詰まる感覚。
そんな中、何気なく目についた1年前の友達のYouTube動画を見た。
スケボーしてるんだけど、主に話してるだけ。
スケボーに乗って話してる私たち。
その時の私たちの空気がとても楽しそうで笑ってしまった。
一気に心の中にしあわせな気持ちが溢れてきた。
なんだかわからないけど私にとってはこっちの方が大事に思えて
一貫性のないなんの脈略もない、これを全て自分の中に内包させていて
認めていて同列に扱っているなと思った。
私の中では一貫性を持っていると位置付けている気がした。

一貫性がない、わたしがもつ性質。
セッションで言われたことをまた思い出す。

隠と陽のモードが行ったり来たりする。
さっきまではしゃいでいたのに、急にスンとなる。
陽から隠へ切り替わる、
パチンとスイッチを押したように音が鳴るくらいはっきりと入れ替わる。
真ん中にいることができない。当たり障りのない態度でいるのも苦手。
ある人たちからは嫌われるかもしれない。
嫌われる勇気も必要です。

言われて気づくあれやこれや。
社会性を保つために、なんとか真ん中を保とうとするが
スイッチはオフになっているのに
無理矢理ゲージを戻そうとするから負荷がかかる。
面白くない、帰りたい、終わらないかな、なんて思いながらやり過ごす。
眠気に勝つために保護者会のプリントいっぱいにイラストを描いたり。
ああ、これか。

社会性を保つ一貫性は持ち得ていない。

楽しくて陽モード、急に飽きてもう無理で隠モード。
家では子供と散々ぬいぐるみで遊んでたのに急にスンってなって
部屋に引きこもる。夫に散々塩対応しておいて急に甘えたり。
家族はそんな生態を知っているからなんとも思わない。
いつも通りの通常運行。

まぁ会社にいる人たちも
勘のいい人たちだから、私はそんな人って思われているはずだ。
隠しても隠しきれない、滲み出るもの。
小二男子の考えたことなんてきっとスケスケに
見えている。

無理しないで、そのままの形を受容したらいい。
そこに罪悪感もいらない。

あ、いま陽から隠に行ったな、それを認めればいいだけ。

私はそういう性質を持っている
そんな自分のシルエットを認める。

生活に対しても無秩序です。
ルーティンが急にできなくなってもしょうがない。
そういうヒトです。
いつも60点を取るタイプじゃない。
100点と0点を取るタイプだから人より良くできるように勝手に見えてしまうし、実際出来るようになる。だから0点の日は無視していい。
秩序にとらわれてはいけない。
ショートスパンで評価しない。
長い目で見たら60点の人達よりも遠くに行ける。

秩序にとらわれて、出来ていない気持ちに陥って
鬱々とすることがある。
前記した英語学習の部分もそうだと思う。
今朝、英語のレッスンをしたら、先月よりもスコアが上がっていた。
0-100の日もあるけど着々と力をつけていた。

嘘がつけない、正直な私のシルエット。
ルーティンなど自分の秩序の縛りに陥りそうになったら
そこから離れればいいだけだ。
ほら、やっぱり前記したスケボー動画につながってくる。
一貫性がない私の中身はある意味一貫性を持って
私のワールドを生きている。

一貫性のないおかしなワールドに住んでいるわたしのシルエット。
スイッチの入れ替わりが激しい。
自分らしさは変えられない。
ここにOKを出していくだけ。








一貫性とは、一貫性の意味一貫性とは、最初から最後まで、ブレずに芯が通っていることである。人間が自分の行動や言動などを、一貫性のあるものにしたいという心理のことを「一貫性の原理」と言う。一貫性は、英語ではconsistencyと表現する。

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