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繰り返さずに、積み重ねること

続けることはニガテだった。

多少続いたのは
幼稚園からやっていた
空手と英会話教室と
小学校からの塾くらいなものだ。

空手は格好よかったし、
なんだか強くなれそうで好きだった。
ただし試合は滅法嫌いで、
何のために競わなきゃいけないのか
あまり分からなかった。

一度、間違えて決勝まで進んだことがある。

しかも相手がどう考えても
自分より強い蹴りを持っていたので
ひたすら逃げ回った。
延長戦へ突入し
先取り一本となって
はじめの合図と同時に相手の面を
正拳突きした。

英会話はもっと無茶苦茶だ。
かわいい女の子が同じクラスにいたので
ちょっとええ格好したいという動機で
6年くらいひたすら通っていた。

おかげさまで
英語の発音だけは
いいねと言われるようになった。

自然に続いているのは
読書とバスケットボール
それとたまに筆を走らせること。

読書→友人にインテリぶれる。
バスケ→ちょっと男を出したいときに使う。
筆を走らせる→主に君には知らない一面もあると言いたいときにだけ使う。

動機は至って純真だ。

シーモア・バーンスタインという
ピアニストでありピアニストを育てる教師
でもある紳士を知った。

じぶんの心と向き合うこと、
シンプルに生きること、
成功したい気持ちを手放すこと。
積み重ねることで、
人生は充実する。

あっ、そういうことなんだ。
続ける→積み重ねる
と変換させるだけで
こんなにポジティブなんだ。
と妙に納得した。

電車内でうるさい高校生には
僕は上段回し蹴りを喰らわすことができる。
(たぶん股が割けるけど)

洋画の会話を理解することもできる。
(全体の1%くらいなら)

動機は置いといて
積み重ねることは
なんて素晴らしいんだ。

シーモアおじさんの
教えは深い。

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