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ワインと地中海#50/マグナ・グラエキア#06

「南イタリアに葡萄とオリーブを持ち込んだのはフェニキア人だ。そしてそれを大きく育てたのはギリシャ人たちだった。フェニキア人は通商の人だからな。自分で作るより買ってきて仲買いで売り捌く人たちだ。実はこの分化が、フェニキア人の中でも起きて、互いに確執しあうという事件がカルタゴ側で多々起きるんだが、ここではその話をしない」
「そうね。いつものように話が取っ散らかるからね」
「フェニキア人たちは、北アフリカから島伝いに地中海を上がっていった。だから伝搬ルートはシチリアから南イタリア
テレニア海側だった。マルタ島もエオリエ諸島もこの時期に持ち込まれている」
「エオリエ諸島のワインなんてあるの!」
「Tenuta di Castellaro(Via Caolino, s/n, 98055 Lipari)が有名だな。ここはフェニキア人が持ち込んだコリント ネロとマルヴァジア・デッレ・リーパリを使ってワインを作っている」
「飲んだ?」
「ん。ミラノのイータリーで買ったよ。日本にも送った」

「憶えてないわ」
「ミラノのイータリーはコレクションが凄いからな。色々買ったから憶えてないものしようがないな。テレニア海側・バジリカータBasilicataとカラブリアCalabriaの2州が南イタリアなんだが、いずれもワインはあまり豊富ではない。いずれも平野部が少ないからな。9%に満たない。アペニン山脈の南端が左に湾曲しながらポッリーノ山塊として中央にあるからだ。それと火山脈だから土地は貧しい。農家より牧畜が一次産業の中心になる地域だ」
「チーズが美味しいところよね。すぐにペコリーノやモッツァレラ、リコッタ、カチョカヴァッロを思い出すわ」
「ん。この地区のチーズは総称してペコリーノと呼ばれてるな。リコッタは"二度煮る"という意味だ。カチョカヴァッロは"馬のチーズ"という意味でね、葦の葉で包んでから長い棒に吊るして熟成させる形状が馬にまたがって見えることで、そう呼ばれるようになった。いずれも旧いチーズの製法だ。
ワインはアリアーニコ種が地元種だ。Aglianico del Vultreという。ギリシャ人がもちこんだ葡萄だ。これで作られる
アリアーニコ・デルヴルトゥレは旧マグナ・グラエキア地域で作られる代表的な赤ワインの1つだ。

というか・・あとはアメリカマーケットを狙った世界種ワインに全体が傾いている。もともとイタリアワインは、イタリア国内にしかマーケットが殆どない。フランス人もスペイン人もわざわざ買わない。買うのは日本人とアメリカ人くらいなもんだろうから、マーケットがアメリカ志向になるのは致し方ないな。南イタリアだけではなく、トスカーナなんかもそうだ。スーパー・トスカーナなんぞ、その典型だ。もちろん悪いことじゃないよ。ニーズのある所に、シーズは生まれる。3000年の歴史に拘るより今売れるものが正しい」
「でも・・買わないでょ?」
「ん。買わない」
「ほんとに偏屈ね」
「イタリア半島の背骨ともいうべきアペニン山脈の南端・ポッリーノ山塊がバジリカータBasilicataとカラブリアCalabriaを分けている。その根元にあるのがヴェスヴィオ火山Il monte Vesuvioだ。この辺りは火山地帯だ。だから土地は痩せている」
「火山の傍にあるワイナリーへ行ったわよね」
「Cantina Del Vesuvio Winery(Via Panoramica, 15, 80040 Trecase)だ。なかなか立派なところだったな。使ってるのは赤はガリオッポ種中心で、白はグレコ・ヴィアンコだった」
「グレコと云うのはギリシャという意味でしょ?」
「ん。ギリシャから葡萄だ、いうことだな。ほんとはフェニキア人が運んだものかもしれないが、ギリシャ人は先達のフェニキア人の話題はしないからな。地元に古くからある葡萄は、すべてギリシャから俺たちが運んだという話になる。まあほんとンとこは、マルヴァジーアMalvasiaの仲間だから、始祖は地中海西側/バレアレス諸島・カナリア諸島・マデイラ島から来た葡萄だ。だから持ち込んだのは、どう考えてもフェニキア人だな。原種はクレタ島の葡萄だ。もっと半島のつま先側まで行くとジェラーチェGeraceという村があるんだが、そのちかくにビアンコBiancoという村が有って、そこにグレコ・ヴィアンコを使ったワイナリーが幾つもあるよ。地元ではGreco di Geraceと言ってる」
「あら。意外にイタリアワインも詳しいのね」
「古代種だけだ。ワイナリーは、大半が20世紀になって出来たとこばかりだから、知らない」
「それでも行ったんでしょ?独りで」
「まんべんに歩いたわけじゃない。仕事の合間の寄り道程度だ」
「ふうん。しごとねぇ」
「カラブリアCalabriaは、ポッリーノ山塊によってバジリカータBasilicataと海上交通以外は隔絶している。
まずはじめに、おずおずとバジリカータ側へ交易所とストックヤードを作ったギリシャ人は、次第にカラブリアCalabriaへ進出しはじめた。僕らは海洋民族という風にギリシャ人たちを見てしまうが、バルカン半島から流民してきたギリシャ人は農耕の人だった。ただし山間部は広い。全州の40%が山地だ。平野は10%もない。それでも丘陵部は50%あるので、ギリシャ人たちはここに入植した。農作物はワインとオリーブだった。彼らが広がると、フェニキア人はさっさと撤収して仲買人に徹した。その意味では、当初二者の関係は極めて良好だったのかもしれない。
ワインは南にあるカタンザーロDOC.Cirot@有名だよ」
「なかなか行く機会がないわね」
「ん。だな」
「だな・・って、ずいぶん簡単ね」
「そのカラブリアCalabriaの右側は・・プーリアPugliaだ」
「ああプーリアね、プーリアって、地元の方の発音を聞くとプッリアに聞こえるけど」
「旧い名前はAPURIAだ。それがPugliaになったから、やはりプッリアだろう。ただ地元になんぞには行かないで書物だけに漬かってる学者さんはスペルをみてプーリアPugliaと発音したのかもしれない」
「なるほどね」
「プーリアPugliaは、フェニキア人が入植したイタリア本土だ。彼らはここでワインとオリーブと、そしてタバコをつくった。このあたりはアペニン山脈から外れて山岳地が極端に少ない。丘陵地が全州の45%平地が50%以上ある。その平地を利用してタバコの初期のプランテーションが作られた。そして丘陵部にはワインとオリーブだ。」
「タバコ?」
「地味が貧しいからね。おそらく大規模な生産畑はタバコくらいしか作れなかったんだろうな。まだサトウキビは東から入ってきていない。だからタバコだ。フェニキア人たちが撤収した後も、ワインとオリーブとタバコはギリシャ人が踏襲してね、ここのワインの歴史は2000年を誇る。南イタリア最大のワイン生産地だ、そして実は"イタリアのワインらしさ"というべきものを形作っているのがプーリアのわいんなんだよ。濃厚でアルコール度数が高くて典型的な南で作られたワイン。手間かけなくても、それなりに出来てしまう、ワインな」
「あ。最後にくさしたわね」

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました