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ワインと地中海#28/フェニキア人とギリシャを繫ぐもの#02

「アッシリアは、ワインを生産していた。新バクダットもレヴァント海岸を制覇した後はワイン生産地を手に入れている」
「ワインは王族と神官たちのものでなくなりつつあったのね」
「遅々だが生産技術も醸造法も進化して、ビールほどではないが極希少のものではなくなったんだろうな。アララトの麓から西進したワイン用葡萄は少しずつ絶対的な生産量を2000年ほどかけて増やしてきたんだと思う。
アッシリアは葡萄伝搬ルートの真ん中だったからね、当然葡萄栽培は生食用・ワイン用とも行われていたんだ。生産地の中心はニネベ山脈周辺なことが判っている。黒海東北から下りてきたヒッタイトは、当初ワインはフェニキア人から買っていた。その行商を継いだのがギリシャ人だ。その頃のギリシャ人は"陸の民"から、すっかり海洋民族に姿を変えていた。イリアス・オデュッセアまではもうすぐそこだ」
「ヒッタイトはワインを作っていなかったの?」
「いや、アッシリアから入った葡萄と技法をもっている人々はいた。中央アナトリア東側の山側だ。いまはマルマラが中心になる。イスタンブルの周辺だ。西側トラキアか著名だ。オキュズギョスOkuzgozuやボアズケレBogazkereを使用している。それとイズミルだな。こちらはフェニキアの技法を踏襲している。
ギリシャのワインは、ペロポネソス半島のミケーネとクレタ島だ。いずれもファニキア人が開墾したものだろうな。サントリーニの大爆発以降、新参者たちのものになった・・とみていいい。もちろん、ギリシャのワインは品種も製法もそのままフェニキア人たちが作り上げたものそのままだ。サントリーニの大爆発以降、フェニキア人はエーゲ海やレヴァント海岸での交易意欲が猛烈にスポイルして、シシリアやマケドニアなんてぇいう地中海中央側に関心が移ってしまったから、ギリシャ人がその隙間を埋めたんだろうな。フェニキア人の取り扱い品目・・銀・金・錫・鉛・奴隷・青銅商品・馬・軍馬・ラバ・象牙・黒檀・小麦・きび・蜜・油・乳・香・ぶどう酒・羊毛・布地・羊・山羊などなど色々とあった、これらすべてをギリシャ人は踏襲したんだ。そして計量制・文字もそのまま自分たちのものにした。顧客もそのまま自分のものにしたんだよ」
「それって・・ぱくり?」
「いやちがう。オマージュだ。尊敬を込めたオマージュだ。・・尊敬を込めすぎちゃって、フェニキアとは戦争まで初めちまう。シケリア戦争だ、ギリシャは今のシチリアの覇権を狙って、当時の支配者カルタゴ(フェニキア)に戦争を仕掛けている。BC580年ころだ」
「ふうん。ギリシャは勝ったの」
「勝ったのはローマだ。この戦争がローマのフェニキア壊滅計画の端緒になっている」
「ギリシャは?」
「隆盛を越したギリシャは凋落して、結局はローマの支配下に入っている。ローマは偉大なり・・だよ」
「あらあら」

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました