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ワインと地中海#46/マグナ・グラエキア#03

「イタリア半島南側に出来たギリシャ植民都市は、先住者であるカルタゴのエァニキア人たちと小競り合いは有ったが、通商関係は続いた。そしてフェニキアから借りた"軒先"は次第に母屋へと勢力を伸ばした。当時、次第に村から町へ、町から都市へ替わったのはカプエKapuê/ネアポリスNeapolis(ナポリ/シラクサSyracuse/アクラガスAkragas/スバリスSubarisなど。ほかにターレスTaras/ロクロイ・エピゼフィリオイEpizephyrioi Lokroi/レギオンRhegion/クロトンKroton/トリオイThurii(トゥリ/エレアElea(ノーヴィ・ヴェーリア/アンコンAnkon(アンコーナ)が500年ほど掛かって大きく育って行った。・・ところがローマだ」
「ローマが大きく伸びる時期にだったのね」
「ん。・・ところで、北東大陸側から入ってきた原イタリック人(ラテン人)はポー平原に大きく広がったという話をしたよな」
「ええ。灌漑技術をもちろんで大きな農業地帯を作り上げたんでしょ?」
「ん。北側ではエトルリア人と混交して初期のローマが形成されたが、同じように原イタリック人は、移植先の先住者と幾つも小都市を形成したんだよ。集約式の農業技術の人たちだからな、人手は要る。だから対抗し殲滅させてもそこへ進出するという方式は採らなかった」
「なるほどね」
「カンパニア地方/イタリア中央部ではサムニウム人と混交した。サムニウム人はカンパニアからアペニン半島にいた遊牧民だ。だから彼らとの連携は部族連合形態をとっていた。半農半牧だった・・実は、部族連合はどの時代でも仲が良くない。統一するアイデンティティ/宗教という連帯が希薄な場合は、とくにその傾向が有る。カンパニア地方は対立・闘争・連合が常に続いていた地区だった」
「ローマみたいに農業を中心にした統一国家にならなかったわけね」
「BC343年、サムニウム人都市カプアが近在のサムニウム人から略奪をうけるという事件が有った。カプアは救済をローマに依頼した。ローマはこれに乗じてサムニウム人部族連合へ乗り込んだ。そして実効支配を手に入れたんだ。同じようにローマ周辺にあった独立していたラテン人国家を次から次へ併合して、自分たちのモノにしていったんだよ。この時期に(312)アッピア街道が作られたんだ」
「ローマのイタリア半島統一戦争ね」
「ん。BC290年ころだ。そしてマグナ・グラエキア同盟に対峙するわけだ」
「あ♪ようやくマグナ・グラエキアが出てくるわけね」
「ん。ローマからの攻撃を受けたギリシア人植民都市はギリシア本土にあったエペイロス王ピュロスに援軍を依頼した。
エペイロス王国は、この間行ったイオニア諸島を含むマケドニア西側にあった巨大な通商国家だ。カルタゴを相手に大きなビジネスを展開していた。
ピュロスは野心的な男だったので、これを機会にカルタゴと組んでイタリアへの進出を狙った。当初、エペイロス王ピュロスは大軍を持ってローマに連勝を重ねた。とくに東方との交易で手に入れた戦闘用象を用いた軍団が圧倒的な勝利をもたらした。しかし・・地の利はローマの兵站に有った。戦線が長引くとピュロスは次第に武器と戦力を失い、戦略が迷走し始める。そして目標を、カルタゴが実効支配していたシチリアに換えた。ここならローマとは戦わないで墜とせるとみたのだ。しかし、飼い犬に手を噛まれたカルタゴは激怒し、徹底的交戦となった。そして戦いはカルタゴの圧勝となり、エペイロス王ピュロスは、ギリシャまで敗走することになってしまった」
「惨々な結果になったわけね」
「ん。この内輪もめに、ローマは漁夫の利を見た。エペイロス王ピュロスに併せて、ローマはマグナ・グラエキア同盟攻撃を再開し、ほとんど交戦もないままに、BC270年にはイタリア本土内全てをローマのものにしている。・・・そして足並みをそろえると・・今度はシチリアへ向かうんだ」
「シチリアはカルタゴのもの・・」
「そう。本格的なカルタゴ/フェニキア人殲滅計画た。ポエニ戦争に繋がっていくわけだ」

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました