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「がんばる」って言葉にちょっと違和感を感じるようになって来た、最近のこと

ある方のブログを読んでいて、そのブログの中に「がんばる」って言葉が度々登場していて、読んでいてなんとなく「?」って感じがしたので、覚え書き程度にここに書いてみる。

人生、度々自分の持てる力を出し切って、がんばらなければならない時期はあると思うの。例えばみけ子のこれまでを考えると、両親の介護をやっていた時とか、市民活動を立ち上げてあれこれやっていた時。それはどちらも、本当に本気になって自分の持っているパワーを出し切らないとどうにもならない出来事で、そういう時期だったと思う。

自分の持てる体力や知恵を出し切る。そうしないとどうにも対処出来ないような日々だったと思うのだ。それだけ、その日々は大変でいっぱいいっぱいで、確かにあの時の自分は精一杯「がんばって」いた。

がんばろうにも、気持ちがついて行かなくてウツウツとした毎日を過ごしていた時期もあった。若い頃の自分は、自由奔放にやっていたようだが実は心の中は苦しく、悩みで一杯だった。それはがんばる以前の状態だ。

「がんばっていた」時も「がんばれずにいた」時も、今思い出してもそれは苦しい毎日だった。密度が濃い時間だったとも言えるが、もうあんまり思い出したくない。懐かしいだなんていまだに思えないわ。

その頃から比べると、今は本当に自分は気持ちの上で本当にラクな日々である。毎日、寝たい時間に寝てほぼ毎日、起きたい時間に起きる。経済的には余裕しゃくしゃくなどではないが、ひとまず月末の支払いとかは何とかなっている。一番気分のあがる好きな場所に住んでいるし、大人の遠足と称してたまに安い自炊温泉宿にも行ける。自分には十分満足な日々だ。

それは確かにこれまで「がんばって力を出し尽くし」たから今の現状がある。その頃の結果が今であると言えると思う。それは大変に目出度いことだ。

そして現在の自分だけど、現在の自分は決して「ラクばかりな毎日」を過ごしている訳ではない。民泊掃除でアルバイトに入った人の仕事ぶりに頭を抱えたり、コロナが落ちついた後の民族大移動で1ヶ月近く休みがなかったり、カレーの国からいらしたゲストさんに部屋をメチャクチャに使われ怒り心頭だったり、シェアハウスの入居契約直前でドタキャンにあったり。もう、noteに書く話題には事欠かないわよ(笑)

だけどこれ、自分的には「がんばる・がんばらなきゃ」状態ではないの。それが割合フツーでまぁ気を抜かないでやれば、何とかなる状態って言えば良いのか。

だから何となく「がんばる」って気持ちよりは「まぁ、どうにかなるでしょ」程度の気持ちなの。

民泊清掃のアウトの数が重なっても、賃貸の部屋で退去が発生して家賃が入って来なくなっても、長男が相変わらずダラダラしててあんまり戦力になってくれなくても「まぁ、しゃ〜ないわね」って思える。「いや、本気出してがんばるぞっ❗️」とかって気持ちじゃないのよ。

これって、これまでより自分のフツーのレベルが変わったからなのかなぁ?とか思ったが違うかな。

自分が本気出してがんばろうと思っても、自分ではコントロール出来ないこともある。っていうか、世の中、自分がコントロール出来ないことがほとんどじゃないか。だったら焦ったりする必要なんてないもんね。

世の中、なるようにしかならないわ。力を尽くす、知恵を絞るべきことはもちろんそうするけど、自分でコントロール出来ないことにイライラしたってどうしようもないよね。そういう流れというか、自分に降りかかって来たことをこなして行くだけ。面白かったら大笑いすればいいし、怒り心頭ならばブリブリ怒ってその後は「しゃ〜ないわ」って淡々とこなすだけだよね。

ある意味、達観?60歳過ぎて力を抜かないと体も頭も追いつかないってことも影響しているのかも。

……なぁんて色々考えてもしょうもないことを、ツラツラだらだら書いてしまいました。皆さま、どうか良い週末をお過ごし下さいませ♬




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