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ジョン・ウエットンというミュージシャン/King Crimsonのベーシスト兼ヴォーカリスト

ジョン・ウエットンと言うミュージシャンがいる。みけ子にとっては「クリムゾンが一番凄かった頃のメンバー」って認識が一番強い。

ベーシストにしてヴォーカリスト。あの強烈な個性の天才フリップ先生と一緒に音楽を生み出していた仲間だ。キレの良いベースプレイを聴いただけで「うわ〜スッゴイ凄い‼️」と感動するばかりだ。(語彙力超絶貧困)

Crimsonでベースとヴォーカルを担当していたと言えば、あのファーストアルバム「クリムゾンキングの宮殿」に参加していたグレッグ・レイク❗️クリムゾン脱退後にEL&Pを結成した当時は、日本でもレイクの人気は絶大だったよ。キレのいいベースプレイとシャウトヴォイスもバラードもじっくり聞かせる歌唱力。その上甘いマスクで女性ファンがメロメロ(笑)そのグレッグ・レイクもすでに故人だ。

クリムゾン II 期の最後のスタジオアルバム「Red」のジャケット↓向かって左側で不敵な笑いを浮かべている結構イケてるお兄さんがジョン・ウエットンだ。とある情報では、この時はメンバー同士が不仲でアルバムジャケット撮影の時に3人が揃わず、バラバラに撮影した写真を合成してジャケットに仕上げた、という話もある。もうこのRedってアルバムはさぁ、どの曲も本当に見事な出来なのよ。聞けば頭を吹き飛ばされんばかりの激しさと濃密な音で、中学生だったみけ子が夢中になって、前のめりで聞いていたわ。

クリムゾン解散後は、様々なロックグループに参加して注目を浴びていた。当時はプログレ指向の人だと思っていた。みけ子に取っては「最盛期クリムゾンのメンバー」という思いから抜け出せなくてそれ以上の事は思い浮かばない。器用に楽器演奏をこなし、歌も上手いマルチプレイヤーって程度しか思っていなかった。

クリムゾン解散後は、プログレ系バンドで主に活躍した。ロキシーミュージックのツアーに参加したり、ブライアン・フェリーのソロアルバムに参加したりしていたみたいだ。

wikiで調べたら、この「Don’t cry」をヒットさせたエイジアでは中心メンバーだったのに、アルコール依存症でバンドを辞めさせられたらしい。こんだけのヒット曲も生み出しているのにねぇ。そしてその後に再びエイジアに戻って活躍していたと言う。だけどこの方、2017年にすでにお亡くなりになられていたみたいだ。享年67歳。

King Crimsonというロックバンドに関わっていたミュージシャンたちは、グループから抜けた後で、「Crimsonにいた頃が一番ミュージシャンとして充実していた」とみな一様に語っている、と聞いたことがある。ひたすら楽曲の高みを目指して音楽を作り続けていた、天才フリップ先生はバンド運営にもきっと厳しかったのだと思う。音楽的な高みを目指す姿勢が厳しい反面、各メンバーにとっても音楽を追求するという点で最高の環境に身を置いていた、と感じられるのかも知れない。

1975年に発売された、クリムゾンのライヴアルバム「USA」のLarks' Tongues In Aspic Part II 」をずっとリピート再生して、この日はぶっ続けで6時間ほど聴き続けていた。(このnote記事を書くのに6時間かかった訳じゃないよ。)だけど何度聞いても聴く人の心を鷲づかみにする曲なのだ。この曲でベースを担当していたのもジョン・ウエットンなのだ。

才能があって一線で活躍もされていて、世界的なヒット曲も残して。故人になってしまわれたけど数十年経っても、こんな日本の地方都市に住んでいる1人の人間にいまだに名前とその業績を記憶されているって、考えればすごいことなんだよね。





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