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甘い予感はいつだって/30歳の終わりに

雨の日曜、鎌倉のカフェでこれを書いている。30歳が雨の日曜で終わって、31歳が満月の月曜で始まっていくのは、幸先がよい気がして嬉しい。この気持ちは「幸先が良い」で合っているのだろうか、と気になり調べてみたら、ちゃんと今の気持ちだった。

物事のはじめが、全体的にうまくいきそうな感じを抱かせる様子であるさまなどを意味する表現。 よい前兆があるさま。

引用:Weblio 辞書

実際のところ、来年の私は本厄らしい。さらに言えば、私の星周り的には「大殺界」という時期らしい。本厄の大殺界。強そうなタッグだ。でも私にとっては「満月の誕生日」の方がパワーを感じるので、こっちを信じる。

好きなものを信じたい。たとえ理由が分からなくても。この人が好きだとかこの場所が好きだとか、頭より先に心が動く感覚を信じてみたい。自分の目が美しいと思うものを信じて進んだ、その先にある景色を見たい。その道のりで、同じものを美しいと思う人と出会ったり、誰かにとっての美しいものを教えてもらえたら、それはとても素敵な人生だと思う。

だから、本厄であろうと大殺界であろうと、誰にいくつどんな理由を並べられても、理由のない月の光を信じたい。

この1年を長々振り返ることはしないけど、なんというか、船を飛び降りて泳いでみた1年だった。飛び降りたら溺れたし、慌てて乗った船も転覆したし、泳ぎが下手で嫌になってしまう日もあったけど、泳ぐことは楽しかった。意外と泳げる、と嬉しくなった。そして「降りたい」と思いながら、それでもその船に乗り続ける理由を探すのは、もうやめようと決めた。

そういう1年になるだろうな、というのは、実は予感していた。予感させるような出来事が、ちょうど1年前、つまり29歳最後の日に起きていたのだ。

去年の11月26日、私は鎌倉のたらば書房さんにいた。誕生日に何か新しい本を読み始めたい、そう思ったのだ。

いつもたらば書房に入るとまず真っ先に、入口付近にある文芸の平積みコーナーを見て、そのあと左に曲がって詩や海外文学のコーナーを見る。その日は平積み台に安達茉莉子さんの詩集「世界に放りこまれた」が置いてあったので、私は迷わずそれを手に取った。

私が安達さんを知ったのは、今は運営停止してしまった[she is]というメディアの記事だった。(わたしも公募で記事を載せていただいたことがある。)安達さんが寄稿されていたイラストと言葉は、記事でありながら、それ自体が空間のような、あたたかい温度や匂いがあった。不思議な光に包まれているようで、誰も触ることが出来ない、だけど誰にも開かれているような、美しい場所だと感じた。

それから数年間、ずっと安達さんの活動を応援していた。「私の生活改善運動」や「毛布」も読んだし、シンガーソングライターの大和田慧さんと配信しているpodcast番組「もちよりラジオ」も毎週欠かさず聴くようになった。その日だって、カバンの中には読みかけの「臆病者の自転車生活」が入っていた。

大好きな本屋さんで大好きな作家さんの本を買う、20代最後の日。まさに「幸先が良い」を感じながら、ぎゅっと詩集を抱えて、そのまま他の本を眺めていたとき、近くから聞き覚えのある声がした。

振り返ると、安達茉莉子さんがそこに居らっしゃった。

私と安達さんは数メートルの距離で互いに目をぱちくりさせていた。ほとんど同時に「あの..」と声を掛け合い、そのまましばらく会話をさせていただき、なんとも嬉しいことに、その場で詩集にサインを書いてくださった。「明日が誕生日で、だから読む本を買いに来ていて」と伝えると、イラストとバースデーメッセージまで書いてくださった。作品から感じていたあたたかな光は、安達さんが纏う空気そのものだった。

(その日の安達さんのツイート)

(その翌日の私のインスタのストーリーズ)

わたしの宝物

こんな嘘みたいな偶然が29歳最後の日に起きてしまったので、「これはきっと何か特別な1年になるに違いない」という予感が確かにあった。そしたらやっぱりそうなった。答え合わせのような1年だった。

船から飛び降り、ひとりで泳いでいるときに背中を押してくれたのも「もちよりラジオ」で出会った言葉だった。

“甘い予感に従って 偶然は必然、結果は副産物”。この言葉にどれだけ勇気づけられただろう。大和田慧さんの「甘い予感」も何度も聴いたし、それが出来るまでのエピソードも、心をほくほくさせながら聴いていた。(今は甘い予感ZINEを読むのがとても楽しみ)

私にとっての「甘い予感」はきっと、去年のたらば書房から始まっていた。それからいくつもの甘い予感に出会い、それに従って泳いでいったら、いくつもの素敵な景色を見ることができた。

31歳の日々も、色々なことが起きるだろう。上手にすいすい泳いで行けるかは分からない。ときには、すべての予感が絶たれたように感じる日もやってくるかもしれない。失敗しない自信はないけれど、何度でも甘い予感に出会っていける自信はある。根拠はないけど、そういう才能が、私にはほんの少しだけ、あると思う。

だから31歳の私が「嫌になっちゃうな」と思ったときは、この記事を読んでほしい。

落ち込んだ私が元気になるように、最後に好きな言葉を置いておこう。

しっかりとしたした気持ちでいたい
自ら選んだ人と友達になって
穏やかじゃなくていい 毎日は
屋根の色は 自分で決める

「燦々」カネコアヤノ

灯台 誰も救おうと思うな だだ光ってろ

「仲間はずれ」星野源

振り返らずに 悩んだら踊れ

「甘い予感」大和田慧

これを書いてある間に雨が止んだようだ。今から横浜の馬車道で開催されている本のイベント「本は港」へ行く。31歳の始まりに読む本を見つけに行こうと思う。


11/26 17:30 嘘みたいな本当の追記

「本は港」の会場でなんと、安達さんにお会いするという奇跡が。

「本は港」に滞在してたのは30分程度で、そろそろ帰ろうかと思っていたら、安達さんの姿が。

「去年たらば書房で…」とお声がけすると、ああ!と驚いた顔をされていた。

そして「実はあれはちょうど1年前の11月26日でして…」とお伝えすると、もっと驚かれていた。(それはそう。)

そして「じゃあ、明日が誕生日ということですよね!何かお祝いを」とおもむろに可愛いカードとペンを鞄から取り出し、なんと、またメッセージを書いてくださった。

宝物、ふえました

あと5分ずれていたら、きっとすれ違っていた。11月26日の奇跡ふたたび。

驚いた気持ちのまま、ぼんやりバスに乗り、なぜか上野町まで来てしまったので「UNDER BRUFF BAKERY」さんに入って、これを書いている。

コーヒーと一緒に頼んだ「林檎と玉葱のソテーとメープルベーコン」のサンドイッチが、ひっくり返りそうなほど美味しくて、多幸感を噛み締めている。

甘い予感、今年も始まってしまったなあ。幸先が良い、とまとめるのが惜しいほど、嬉しい気持ち。

どうかこの予感が長く続きますように。そしてそれをちゃんと形にしていけますように。迷ったり落ち込んでも、ちゃんと正しい場所にかえってこれますように。明日、満月にそう祈ろう。

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