見出し画像

いま知って欲しい‼︎コーチングの元祖・神【二宮金次郎】お金を生み出すプロ‼︎


●この記事を読むメリット●

◯コーチングやコンサルを目指している人に欠かせない知識が得られる
◯日本が今後よくなる方法を知ることで「やるぞ!」と気合と元気が湧く
◯日本人でよかったと誇らしい気持ちになれる


二宮金次郎。
別名・二宮尊徳(にのみやたかのり)

私が愛してやまない偉人です。
今回の記事は二宮金次郎の魅力を熱く知って欲しいという回です( ´ ▽ ` )





二宮金次郎の名前は知ってはいたものの、本当の凄さを知ったのは実は去年のことでした。

息子が二宮金次郎の伝記を借りてきたのが始まりでした。




詳しくは知らないけど、なんか勉強が好きな人だったよな。という軽い気持ちで読み進めた結果



私が知っていた情報の何倍のも功績を残したその素晴らしい生涯にひどく感動し、

私は二宮金次郎の大ファンとなりました。



二宮金次郎の功績をあえて一言で言うなら


【復興能力の神・人の心を耕し続けた人】です




私が二宮金次郎を最も尊敬するところです。
このことがよく分かるエピソードを2つに絞ってご紹介します。






【復興能力・人の心を耕す】とは
その1

【お金を生み出す発想能力が普通じゃない‼︎稼ぐではなく、“お金生み出し“のプロ】


二宮金次郎は、お父さんがそもそも素晴らしい人格者でした。


困った人を決して見捨てず、お金を貸して欲しいと言われたら返ってこないかもしれないと疑うこともなく貸してあげる優しい心の持ち主でした。



金次郎が5歳の時、酒匂川(さかわがわ)の氾濫のため、お父さんが持っていた土地の多くが流されてしまうのですが、お父さんは弱音を吐かずに復興に努め、その洪水のために食べられなくなった人に、自分の家計が苦しいにも関わらずお金を貸し続けていました。
金次郎はそんなお父さんの背中を見て育ったのです。




父や村人の努力が実り、田畑が元の戻ってきた頃、またも大雨が猛威をふるいます。

金次郎が12歳。再び酒匂川が氾濫し、土手が崩されてしまったのです。


父は身を粉にして働きすぎたこともあり病気で土手の工事が手伝えません。

父の代わりに金次郎が工事に出向くも、村人たちからは「子供がくるところではない。足手纏いなことをするんじゃない」と言われてしまうのですが

金次郎はその場で、自分にできることはないか、じっと観察をすることに決めました。


すると、村人たちが履いているワラジがボロボロであることに気づいたのです。

「これなら子供の私でもできるぞ!」

一気に閃いた金次郎は、材料を拾い集めて懸命にワラジを作りました。


これが村人たちに大好評。

自分自身が工事に対して体を使った貢献ができないなら、工事をしてくれている人のサポートでの貢献はできないだろうか。という着眼点がとても12歳とは思えません。


誰かが必要としているものを先回りして考え、それを自らの手で作り、お金に変える。

これは

【稼ぐ】というより【生み出している】

のだと私は感じました。



このエピソードから

【お金は稼ぐものじゃない】

【誰かの困りごとを解決するのが第一目的】
【その解決の産物として自分に戻ってきたのが“お金“である】

【つまり誰かの心から生み出された(ありがとう)という目に見えない感情が、(お金)という目に見える物質に形を変えた】


金次郎はそんな事を教えてくれているのだと思いました。



【復興能力・人の心を耕す】とは
その2

【財政再建を頼まれたからには住み込みでコーチングしちゃう‼︎


二宮金次郎の「復興能力」は並外れています。


その事実が小田原藩まで知れ渡り、24歳頃から功績が認められ始めるのですが、この時代、農家の人間が藩がら一目置かれるなどということは非常に珍しく多大な名誉だったそうです。



32歳。金次郎は服部家の家政時再建を頼まれますが、結婚したばかりの中島キノを家に残し、服部家に住み込んでコーチングを始めました。
お金の正しい使い方、増やし方、貯め方、食材の買い方まで細々と指導し、見事に復興させ、小田原藩主・大久保忠真から表彰を受けた程でした。



しかしこの後、仕事に打ち込むあまりキノが愛想をつかし、離婚を申し込まれてしまいました。
でも、金次郎が今までに得た人からの信頼は絶大で、服部家の奥女中・ナミコを紹介されすぐさま再婚することができたのです。



37歳。この時復興を頼まれたのは誰かの家計などではなく「町」自体でした。桜町領。今の栃木県二宮町です。
この時ももちろん住み込みですので、自宅と持っていた田畑全てを売り払い、一家で桜町領に引っ越したのです。
そして同時に、小田原藩の武士の身分を貰ったのでした。




金次郎は、その村になぜ活気がなくなったのか、人々がどんなことで困っているのかを徹底的に調査しました。

その時金次郎が大切にしていたことは

「人にしっかり耳を傾け、自分が納得するまで話を聴き、寄り添うこと」

でした。

それが何よりも、飢えに苦しんだ村人たちの心を耕すことだったのです。



このエピソードから


【自分の持っている知識を、それを知らない人に分け与えることの大切さ】
【困っている人の立場にとことん立ち、同じ感情になり、その上で指導する】
【信頼は時にお金よりも尊いもの。過去の自分が築き上げた信頼が現在の自分を救う】
【自分の選んだ最良の(自己犠牲)な行動が、その倍となって最良の何かでまた自分に返ってくる

ということが重く伝わってきました。


金次郎のエピソードは語り尽くせません。
この他にも数多くの農村の飢饉対策を指導してきました。

人に教えられるほどの知識が金次郎にあるのは、銅像姿でお馴染みですが薪を背負って歩く道中の時間を決して無駄にしなかったからです。

世が明けてすぐに山奥に薪を取りに行く時間、帰る時間。お父さんの持っていた本を懸命に読み続けました。



幼い頃の金次郎の家計には食料などの物質的なものだけでなく、

1分1秒という時間すらも無駄にできない

ほど切羽詰まったものがあったのです。


時間というのは、目に見えませんが実は物質的なものよりも可能性が詰まっています。

「時間」は目に見えない「自分の未来の材料」です。

「何にでも変換できることのできる材料」ですので、何に「時間」を使うかによって、それは何にでも変えることができるのです。
目に見えないからこそ、目に見えるものになら、何にでも変換することができるのです。



金次郎のお父さんはいつも金次郎に言いました。
「農民であっても、知識は必要だ。役人にも物が言える人間になりなさい」


金次郎のお父さんはとにかく【学び】を大切にしていました。



きっと息子に、他人から聞いた「正しさ」を真に受けるのではなく、自らが進んで得た知識の中から、自分が納得する「正しさ」を心に強く持ち、それを言うべき時には自分の目上の人間にも意見できるような人に育って欲しかったのではないでしょうか。





二宮金次郎の生涯は「日本の復興」を体現していると思います。


「日本の復興」


そう聞いて、あなたは何を思い浮かべますか?

地震、集中豪雨、土砂災害、猛暑、豪雪。

たくさんありました。


私が一番、常に胸に留めておきたいと強く思っているのは

「戦後の復興」です。


なぜなら、原爆が落ちた国は唯一日本だけだからです。

私はこれに
何かの意味がない訳がないと思えて仕方がありません。




私の実父が去年、6000万の借金を残し自殺をしました。


死にたい気持ちもわかるのですが、国のためにどれほどの人が亡くなったのかを一度でもいいから考えてみてほしいとやるせない気持ちになりました。


日常で簡単に「マジで地獄だわ」と言う人には、原爆が落ちたあの日の広島を一度でもいいから想像してみてほしいです。


その人が想像してくれたら、その人1人の人生が必ず変わります。
1人の世界観が変われば日本全体の世界観が変わります。


私は必ず2027年に起業し、今の日本をさらに良くすると決めて毎日の1分1秒を生きています。

あの日の広島を知る事ができます
特攻隊の方達の想いと出会えます

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?