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日本画家・中居里子さんの作品は「一人の女性の暮らしそのもの」

三⽊美術館の2階『galleryアートスペースmiki』を来月から飾るのは中居里子さんの日本画です。それに先駆けこれまでの活動や暮らしについてお話を聞かせていただきました。お買い求めいただけるこの機会にぜひ⾜を運んでいただければ幸いです。 展⽰期間:2023 年5⽉3⽇(水)〜21日(日)

55歳での大転換。少女のように身軽にパリへ飛び立つ

庭先にて

画家へのスタートをきったのは本当に遅かったんですよ。55歳の時に、これまでの人生を振り返って「自分のしたいことをしよう」って思った時に頭に浮かんだのがフランスのパリ。
最初は暮らすということさえ真剣には考えず、とにかくパリへ行こうって。
それからは早かったですよ。勤めていた役所を退職し、飛行機に乗ったようなものですから。

それまでの生活ですか? 育ったのは現在も住んでいる兵庫県の宍粟市です。山に囲まれた本当に自然の美しいところです。大学卒業後は大阪でしばらく過ごしていました。ところが私のプライベートで変化があり、母も倒れたということで、それを機にここへ戻ってきました。私が32歳の頃です。
母には介護が必要だったので自分の意思で戻りましたが、それからしばらくして父も認知症を発症したので、息つく間もなく仕事と介護に追われるような生活が長いこと続きました。

―32歳から55歳まで。長いような短いような時間をきっと過ごされたに違いありません。お母様とお父様を見送った時に中居さんがこれまでの生活を振り返ってひと息ついたのも自然なこと。中居さんご本人はそんなことはおっしゃいませんが、長らくなかった自由を謳歌するために選んだのがパリで過ごすという時間だったのでしょう。
今も瞳を輝かせていきいきと語る中居さんにパリはどう映ったのでしょうか。

パリでの出会いが、その後の画家への道へとつながる

仕事場はリビングとも隣接した明るい空間

本当に、子供の頃のようにドキドキワクワクしてパリに到着したんです。これからどうしようかなんていう心配もその時は全く感じていませんでした。
そしてそのパリで、ある日本人画家さんが主催するスケッチ会に参加するようになり、絵をまた描くようになったんです。「また」と言っても高校生の時に美術部に所属して描いていたり、すこし人に頼まれて挿絵を描いたことがあるくらいでしたらから、本格的に絵と取り組むようになったのはこの時が初めてと言っていいでしょう。そのスケッチ会からそのうちパリの美術学校でクロッキーやデッサンを学ぶようになりました。

見せていただいたスケッチにはパリの「陽」の面が切り取られています

―それからは中居さん独特のライフスタイルが生み出されていくことになりました。パリではひたすらデッサンに明け暮れ、日本へ帰国するとそのスケッチを元に日本画を制作するというもの。最初のうちは半年パリ、半年日本という頻度だったのがだんだんと狭まり、パリ3ヶ月、日本3ヶ月という暮らし方ができあがったそうです。

そうですね、最初にパリへ行った2006年から2019年くらいまではフランス・日本のデュアルライフでした。パリでは一生懸命街角やカフェの人の様子をスケッチし、日本へ帰ってきてはキャンバスに向かいに絵にする。そしてその大きな絵を抱えてJALでパリへ向かうんです。
目的は展覧会に応募するためです。
ひとつは1900年のパリ万国博覧会の際に建てられたグラン・パレで開催されるアート・アン・キャピタル。これはフランスだけでなく各国の作家の作品が大々的に披露される展覧会です。そしてもうひとつはサロン・ドーオトンヌ。これはそれこそ世界中から20,000点くらいの応募があるとても有名な展覧会です。
そうしているうちにポンピドーセンターの前のギャラリー『メタノイア』で個展をするチャンスをもらいました。

「こんな箔もあるのよ、きれいでしょう」アトリエは幸せ色で満たされています

―岩絵の具を使って描くのが日本画。画材のもつ特性を活かして描いていくと静的なイメージの日本画になっていくのだとかつて別の日本画家の方が言っていらしたのを聞いたことがあります。そういった観点で見ると中居さんの作品は決して日本画であって日本画の枠にとらわれないものであると思えてきます。どの作品も生き生きとした躍動感があるのです。


絵を描いているのか、絵の中にいるのか。描くのは中居さんをとりまく、空気のようなもの

庭に咲く花の自然の姿を描いた作品。絵の具と箔の美しいコンビネーション

私は本当にたまたま画材が岩絵の具だったというだけなんです。それは一番最初に本格的に絵を教えてくださった方が日本画家さんだったからです。でも岩絵の具がもつ発色は大好きです。私はどちらかというと「この絵の具、つまりこの色を使いたい」と思って描き出すんです。
そして描くものはその時に私が触れているものです。ですからパリと日本を往復していた時はパリばかりを描いていました。でもコロナが蔓延してパリ行きが難しくなってからは描くことがなかなか難しいと思う時期もありました。そんな時に私のそばにあったのがこの宍粟にある自然。手入れをしている庭に咲くバラや様々な花たちです。今年も咲き誇る花の色合いを見ながら筆を取ります。
でも今年は秋にパリへやっと行けますからまたパリの絵を描くことができると思います。

―長い苦しい時期を超えた先から自分を解放して出会った画家としての生き方。料理を楽しみ、庭の草木の手入れを愛おしむ中居さん。創作活動は「気分がのったらね」と笑う中居さんの魅力を映し出すような作品で幸せを感じていただけたらと思います。
                     [企画制作/ヴァーティカル]

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