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パンダの足あと~その2の2:「路地裏の秋と暗室〜音だけの滝本晃司」(@名古屋・ロジウラのマタハリ春光乍洩/2012.11.25)

■初めてのみそかつ

前回の奈良行きでは東京駅に30分早く着いてしまった私だが、今回は1時間前に到着した。アホだ。
新幹線は今回もこだま。10時発、12時10分着予定。ちょうど昼食時の到着。
20年ぶりの名古屋。新幹線の中での弁当も気になったけど、ここはやはり着いてから食べようと、飲み物だけを手に乗車した。
そんな時に限って、空腹が早い。
そんな時に限って、隣のご年配夫婦がおいしそうなお弁当を広げたりもする。家から持ってきたと思われるおむすびが、とても美味しそうだった。アルミホイルに包まれている、アレ。

今回の旅の前にリサーチしたのは、やはり名古屋グルメ。
調べると一番に出てきたのは“みそかつ”。その中でも『矢場とん』の名前を多く見かけた。
私はみそかつを食べたことが無かった。東京にも支店があるけど、折角だから最初は名古屋で食べよう。
サイトを見ると、各店舗の待ち時間が出ている。
浜松あたりで調べたら、すでに10分待ち。正午すぎはどうなっているのやら。
待つのはキライではないけど、あまり待たされるとその後の予定が狂う。ライブ前に出向きたい所があるのだよ。さて。

名古屋駅に到着後、地下街エスカへ向かった。その奥にある『矢場とん』は、すでに長蛇の列だった。
どうしようかと思いながらも、仕方なしに最後尾に並び始めた。そこで作戦の練り直しをしようと思ったら、店員がメニューを持って駆け寄ってきた。
「何名様ですか?」
「ひとりです」
「カウンターでよければ、すぐに入れますが」
えっ?
見ると、並んでいる人はほとんど2名以上のカップルや家族単位だった。並んでいる方々の横を小走りに過ぎ、入店。5名が並んで座れるカウンターの、一番端に通された。隅っこ好きとしては、ナイスポジション。
注文は、人気メニューだという『ひれとんかつ定食』。

見た目はこってり、けれど味はシンプルで、好きな味だった。そしてやわらかい。カツなのにすんなり食べられたのも、驚きだった。

■20年前の記憶を辿る

昼食後、ホテルにキャリーバッグを預けた私は、まず今夜の店の場所の確認に行った。すぐ発見。そして名古屋駅へと再度向かい、地下鉄の一日乗車券を買った。
それから地下鉄東山線に乗り、伏見駅で鶴舞線に乗り換え、大須観音駅で降りた。

地上に出ると、結構な人出だった。天気のいい日曜日。

大須観音をひと通り見て回り、目的地を目指して、商店街を歩いた。
七つ寺スタジオにも行けばよかったが、すっかり忘れて私は白川公園に向かっていた。
今回のライブ以外で一番行きたかったのが、そこ。

1992年11月、『高丘親王航海記』が上演されたのが、白川公園だった。
大規模なセットに、少年王者舘と維新派・てんぷくプロから役者が大集合。澁澤龍彦氏の原作を、天野天街氏が脚色・演出した芝居。ただの公園が、夢の異世界になった数日間だった。
ここで過ごした数日間は、とても思い出深いものになっている。

公園の中は何かの催しの真っ最中だった。だからそんなにウロウロは出来なかったけれど、ある小道を見つけた。あの時一緒にいた友人が、大好きな俳優とツーショットを撮った。

その上に立って、当時のことを思い出して、ちょっと物思いに耽ってみた。彼女、今はどうしているだろう。

まもなくそこから矢場町駅へ歩き、ここから地下鉄に乗った。名古屋市営名城線。
次は名古屋城を見てみようと思っていた。
そこで降りたのは、名城公園駅。
違う。間違えた。
名古屋城に行きたければ、市役所駅で降りるべきだった。電車から降りてから、駅の案内板で気付いた。

しかしここで、あまり時間が無いことに気が付いた。白川公園あたりで時間をかけすぎた。
名古屋城は今回は外から見るだけで、中に入るのは諦めた。
私は名古屋城を右手に、西へ向かった。この辺りは法務局や警察署、簡易裁判所などがあって、さっきまで居た大須観音とは違って閑散としていた。
とりあえず地下鉄駅に入ってしまえば、わかる。
ところがなかなか見つからない。
道を歩く人もほとんどいなく、スマホ片手に不安になるばかり。
やがて地下への入口を見つけたものの、中で結構歩く羽目になった。
ようやっと丸の内駅の改札にたどり着けた時は、安堵した。
私はそこから鶴舞線に乗り、伏見駅で東山線に乗り換えて、名古屋駅へと戻ったのだった。


(その2の3へ続く)

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