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パンダの足あと~その2の1:「路地裏の秋と暗室〜音だけの滝本晃司」(@名古屋・ロジウラのマタハリ春光乍洩/2012.11.25)

■ムシャクシャしていたから

初めてのぼっち遠征から、早1年。
その頃の私は、ギクシャクした日々を送っていた。
職場が他社と合併して、勤務先が引っ越した。通勤が遠くなった上に、業務内容も大幅に変更。社風もガラリと変わり、同僚が次々と辞めていく……そんな中、私はどうしたものかと考えあぐねていた。

ライブへは行っていた。
ただし、都内のみ。
その年にあった、広島や沖縄、札幌、大阪、諸々の告知を、指を咥えて眺めているだけ……はたして他の地域でのライブは、東京のライブとどんな風に違うのか。
行ってみなければわからないけれど、どこから行けばいいのか。
そう考えるだけで、行動に移せないまま。今思えば、ありえないくらい消極的だった。

その日、職場で嫌なことがあった。
大きな問題にならずに済んだものの、ムカッ腹はおさまらない。抑えて何とか仕事を終わらせ、帰りのJR埼京線に乗ったのは、わりと遅い時間だった。
そこで滝本さんのサイトを見てみたところ、新しいライブ告知が出ていた。

『路地裏の秋と暗室〜音だけの滝本晃司』

音だけ?

詳しく読んでみると、ライブの一部で部屋を真っ暗にして演奏をするとのこと。
それ、大丈夫なの? そもそも、そんなに真っ暗になんてできるの?

面白そうじゃないか(ゴクリ)。

気がつけば、私は予約メールを送っていた。
夫に相談もなく、前後の仕事とか他の用事の確認もせず、もう脊髄反射で動いていた。
これはもう仕方ないこと。
ムシャクシャしている時に、そんなおいしそうなモノを目の前にぶら下げられたら、もう辛抱出来ない。
会場である『ロジウラのマタハリ春光乍洩』にも興味があった。
そんなわけで、2回目のぼっち遠征があっさりと決定したのだった。

■ところで名古屋と私

実は、遠征で名古屋、というのは初めてのことではない。
最初は1989年1月、平成が始まってすぐ。
当時好きだったバンドの解散前のツアー最終公演が名古屋だったから、それに行った。
ファン友4人と、東京から鈍行(快速など含む、特急料金不要の電車)で時刻表と睨めっこしながら、えっちらおっちらと8時間かけて行った。若さってすごい。
現地の友人の家に一晩泊めてもらい、帰りは金券ショップで買ったチケットで、新幹線で帰ってきた。

2回目は、名古屋を拠点とする劇団「少年王者舘」の公演を観に行った。
この年は2回行っており、まず夏ごろに「香ル港」の千秋楽を観に日帰りで、秋に「高丘親王航海記」を観に3泊もした。
これは、当時のファン友とふたりで行った。往復新幹線、そしてビジネスホテルに連泊。セットとかではなく、ホテルは時刻表の後ろの方の宣伝ページで見かけたところに電話した。
当時は実家住まいの社会人ということもあり、旅のセレクトがちょっと豪華だったと思う。今ほど安い手段を知らなかったというのもあるけど。

それが1992年11月。今回は、ちょうど20年ぶりの名古屋訪問となった。

■交通手段

JR(こだま)+宿泊パック 3万円くらい

確かJTBだったかと。
往復こだま+ホテル1泊。ホテルはライブのお店からからほど近い、チサンイン名古屋を選んだ。
実は終演後に新幹線の最終に乗れるのだけど、当時は知らなかった。
夜行バスもあったのは知ってはいたが、前回の奈良からの夜行バスが私の中では大不評だったものだから、今回はこうした。

宿泊有りのひとり旅は、実はこれが生まれて初めてだった。


(その2の2へ続く)

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