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プレスになるまで

具体的なお仕事の話をする前にもう少し自己紹介的なことを。
自身の経歴とともに、なぜアパレルのプレスになることを選んだのかをお伝えできればと思います。

ファーストキャリア

大学卒業後、ずっと夢だったコピーライターとして広告制作事務所に就職しました。もともとはコピーライター志望だったんです。
その会社はクリエイティブディレクターでありコピーライターである代表の他に、デザイナーが2人と経理担当の方が1人というこじんまりとした事務所。
いろいろあって1年で夢破れる形となった私が代表に辞職の意思を伝えた際、
「アパレルのプレスやスタイリストに興味はないの?スタイリストなら紹介してあげられるけど。」と思いがけないお話。
洋服はずっと好きだったけど、それまでは洋服を仕事にするという意識が全くなくて、まさに青天の霹靂。
だけど、ずっと夢見ていたコピーライターの道を一旦は諦めた自分には他にやりたいこともなく、流れに任せてスタイリストを紹介してもらうことに。

アパレルの道へ

スタイリストアシスタントとして約4年弱。現場は楽しく師匠についての仕事も充実はしていたけど、いざフリーで独立、が少し見えてきてお仕事をいただき始めた頃には一人でやることにビビりまくっていました。
そんな中、プライベートな理由もあって東京に出ることに。
また一からスタイリストの道をスタートする選択もあったけれど、より内情が見えていなかった「プレス」にも興味が。でもこれはフリーになることから逃げていたのかもしれないな、と今も心の片隅に残っています。

そんなわけで「プレス」への道を志した私が最初にドアを叩いたのがベイクルーズ。
JOURNAL STANDARD、IENA、SPICK&SPAN、そしてDEUXIEME CLASSE。特に大阪に店舗がなかったDEUXIEME CLASSEは憧れのブランドでした。
応募時からプレス希望だった私。ベイクルーズのブランドならどのブランドも好きだし、と連絡、面接。
面接の結果は「ショップスタッフからのスタートなら合格(DEUXIEME CLASSE)」でした。当時すでに27歳だった私はかなり悩みました。時間がかかりすぎるのでは、という点や、ショップスタッフに良い印象を持っていなかったから。関西の友達感覚の接客が苦手だったんです。。笑
それでも他社にピンとはこず、そのまま入社することを決めたのです。

ショップスタッフからプレスへ

ショップスタッフ、、、心に引っかかるものはありつつも根がまじめな性格故、一生懸命やっていたらお客さまにも先輩・同僚にも恵まれ、順調に、そして楽しく接客する日々。お客様と接することで得たものがたくさんあります。

そんな中でも希望は常にプレス。
ベイクルーズでは半年に一回、役職変更やショップ異動など自身のキャリアの希望を伝えるタイミングがあります。私はその度、希望を出し続けていました。もちろんすぐに異動、とはなりませんでしたが、それでも周りのみんなや本社の方々も私が強くプレスを希望している、ということは知ってくれている状態に。
周りに意思を伝え、理解してもらっている。これって実はとても大切なこと。
口にし続けて良かったって、今でも改めてそう思います。

そこから数年。2年と少しくらいだったかな。新たに全ブランドのプレスアシスタントを募集するというタイミングが訪れ、もちろん応募。ついにプレスへの異動が叶ったのです。

そうしてプレスとしてのキャリアがスタート。
メンズも含めたベイクルーズブランド、当時は8ブランドくらいだったでしょうか。そのアシスタントに。
と言っても、その3ヶ月後にはJOURNAL STANDARDのプレスが退職され、そのまま、なぜかJOURNAL STANDARDのプレスになることになったのです。
通常はもちろん自身が在籍していたブランドを担当するものなのですが、どういったわけか私の場合は少し不思議なケースに。
今思うと、ブランドの人たちもよく反対しなかったなと思うのですが、ここからはJOURNAL STANDARDプレス。今に続く道の始まりです。

長くなりましたが、これがプレスになるまで、小林の場合。でした。




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