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慰霊の日

今日は、沖縄だけの祝日、慰霊の日。
沖縄を離れてからも、この日になると、「月桃の花」の歌詞を口ずさんでいる。

沖縄戦のこと、あまりに、むごく、悲惨で、どんな生き物もこんな目にあっては、ならない、というはらわたが煮えくりかえる気持ちで聞いた、おばぁたちの、話。

慰霊の日の日が、祝日なのは、この日で組織的な沖縄戦が終わったとされているからだ。(しかし、それは終わらず、戦禍は続いたと聞いている。)

もう聞きたくないし、見たくない。
そう思う日ばかりだけれど、わたしの祖母のその母が生きたまま焼かれてしまった過去は、変わらない。

今もあらゆる場所に防空壕の跡地があり、毎年のように不発弾を取り除く工事がされている。

不発弾処理は、爆発してしまう危険性があるため、近くに住む住民は、その時間帯は外へ出る。不発弾処理の人は、万一爆発してしまったら、そこで死ぬ。

岐阜に住んで、こんなにも戦争の跡がないものか、と驚いた。100年以上も続く家々がこんなにも残っているのは、戦火に焼かれなかった証拠でもある。うらやましく、おもう。

首里城は、石垣を残して燃えてしまい、また再建され、数年前にはまた火事があった。

「これだけね、むかしのままの、石垣なんだよ」と見知らぬおじぃがその石を撫でる。

家も、戸籍も、遊び場も、畑も、学校も、店も、あらゆるものが燃えてしまったあの場所を、祖父は、祖母は、どうやって生きてきたのか、想像ができない。沖縄県民の、4人に1人が、その数ヶ月で命を落とすことが、腑に落ちる日は、たぶん来ない。

死体も見つからず、骨を墓に入れることさえできなかった何万の人たちの名前が彫られたあの黒い石の前で、今日もその家族が祈っただろう。そこには、名前しかない、その場所の石に泡盛をかけて冥土へたむけただろう。

なぜ、「命どぅ、宝」という、当たり前のことをおじぃやおばぁが言うのか、なぜ訪ねるたびに、腹がはちきれんほどのものすごい量のご飯やお菓子を子どもたちに振る舞うか、命が宝ではなく、お腹いっぱい食べられなかった過去が、消えないからだ。

物はいつか跡形もなく、なくなるし、人は死ぬ。その事実が、変わらないのだとしても、望まないむごい形でそれらを奪われる人が、いないでほしい、と願う。

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