慰霊の日

慰霊の日コンサート琉球魂沖縄旅2019幕引き

2019の梅雨明けはまだでしたが、この旅の圧倒的に記憶に残る素敵時間がありました。
アーティスト竹原ピストルさん、Shinbowさんが慰霊の日コンサート琉球魂に出演するのを観に行けたこと!

実は、竹原さんのライブ情報がメール通知がくるようにしているくらい、好きなアーティストでして。え!?Output って!!行きたい!!と思っていたら1週間でsold out。。。

^_^ところがですよ、Out

もっとみる

慰霊の日に行く沖縄旅

1945年3月26日から6月23日まで続いた沖縄戦。戦争中の敵国と、自分の生きてきた場所で、住んでいるところを守る戦いをする非常事態。

本土の人間、沖縄の人間とわける意味。奥深い根強い、悲しみを思い出す慰霊の日。

沖縄民謡、沖縄アーティストの歌の端々、アーティストたちのPVに至るまで、沢山のメッセージはこめられている。

本土では殆ど教えられていなかったこと。同じ日本とは思えない、義務教育で知

もっとみる

戦争を知らない子供たちの子供

どうも、クエッショニングのりゅうです。ナガサキの日、私は祖母や学校や様々で見聞きした戦争体験に思いを馳せています。

最近、学生さんの戦争を知る体験(資料や体験談で学ぶ)を目にすることがあり、戦争も震災も忘れないようにという活動がまた活発になっているように思う。

今回はいつも以上に纏まりがないと思います。

いつもであれば下書きに仕舞い込んでしまう稚拙さですが、今回はそのままアップしてしまおうと

もっとみる

沖縄旅はシーサーとニュービートルと!

たくさんのシーサーに出会える。いつものシーサーに出会うと、ただいま!という気分になる。シーサーは我々を守ってくれる。

ニュービートルが今回の旅のレンタカー車。これね、高速でもブレない、長く乗っても疲れない。良い車です。レンタカー返却の時、オーナーさんと少し興奮して話しました。他のフォルクスワーゲンの車も乗りやすいのだと。

#沖縄旅 #ニュービートル #シーサー #慰霊の日 #エッセイ

もっとみる

いることをゆるされること 旅

クレジットカードのマイレージが貯まり、何に使う?ほんとはマイルで使うのが一番有利なんだよね、などと話しているうち、友だちに会ってきたら?と夫に言われた。今なら、仕事も忙しくないし、子どもみてるから。

沖縄。

断る口実も見当たらず、話の勢いで、飛行機の予約をしてしまったけれども、気が重かった。

学生の時以来の沖縄。

学生の時、ゼミの仲間と2週間ほど訪れて、沖縄の歴史に触れ、それぞれのテーマに

もっとみる

沖縄慰霊の日に

先週のことだ。6月23日。太平洋戦争最後の激戦地となった沖縄県糸満市摩文仁にある平和祈念公園で、沖縄戦の犠牲者らを追悼する「沖縄全戦没者追悼式」が開かれた。

戦後74年目の沖縄慰霊の日。雨の慰霊祭は約30年ぶりとか。

玉城デニー知事の平和宣言、安倍総理や衆参議長の挨拶などに続いて、平和の詩の朗読、そしてたくさんの人々による献花。

『命(ぬち)どぅ宝』
生きているから笑い合える
生きているから

もっとみる

戦場だった海、「生き残ってしまった」罪悪感

1944年7月のサイパン陥落後、戦火は沖縄へと迫っていた。軍の食料を確保するため、そして子どもたち、女性、お年寄りは足手まといになるからと、本土や台湾への疎開が進められた。当時9歳だった平良啓子さんは、1944年8月21日夜、国民学校の児童や教員、一般疎開者計約1800人と共に、対馬丸に乗船し長崎へと向かった。

 けれども当時、海はすでに戦場だった。それまでに沖縄関係者を乗せた船17隻が米軍の攻

もっとみる

6月23日 沖縄慰霊の日

2019年6月23日、沖縄慰霊の日。

日本で唯一の地上戦が展開され、県民の4人に1人が亡くなったという壮絶な過去を持つ沖縄の、死者を悼むための日だ。

私は西表島の友人を訪れていて、この日を迎えた。学生時代に訪れて以来の沖縄だ。朝、厳かな響きの、でも聞いたことのない唄がどこかから聞こえてきて、目が覚め、家の裏にある海にお祈りに行った。

亡くなっていった人たちをおもう。肉体の苦痛、心の苦痛、悲し

もっとみる

日本から忘れられた日

例年晴れて蝉の鳴き声を聞くことが多いのに、令和元年最初の慰霊の日は大雨。

私には90代の祖母と80代の大叔母がいます。
祖母は戦前、九州から富山の薬売りとして沖縄に渡ってきた祖父と見合い結婚。

その数年後、沖縄は第二次世界大戦の地上戦となり当時18歳だった祖母は身重の体で妹の大叔母と共に、年老いた両親を連れてひたすら逃げました。

しかし空からは爆弾が雨のごとく降り必死に両親の手を引っ張る祖

もっとみる