車が燃えるということ

そんなことって普通ないでしょう、ということがよく起きるのが私の今住む街パリだ。タイトルにある、「車が燃えるということ」は一例だが、残念ながら非常に多い。

車が燃えるきっかけの一例は、国民によるmanifestation(日本語で言うデモ)が起きるとき。全てのデモで車は燃えないが、2018年に始まったGillets jaunes(日本では、黄色いベスト運動と訳されている)のデモでは、何度も車が燃える光景を目にしている。車が燃える、のは今まではハリウッド映画の大げさな演出、あとは酷い追突事故等に過ぎないし自分の目でその光景を目にすることは一度もなかったが、この国に来てからはよく遭遇している。何と暴力的な光景なんだろう!車は燃やされる前に、大勢の人から殴る蹴るのリンチを受け、それからどうやって燃やされるのか分からないが炎上している。そもそも、日本のように地上にコインパーキングのような敷地が用意されていることは大変少なく、路上にお金を払って駐車するか無断で駐車するのどちらかが多いようだ。ということなので、燃やされる車というのは勿論無差別である。デモは予定されると数日前から日時、場所、ルート等の情報が一般に公開されるため、車の保持者はこまめにチェックして被害に遭わないように気を付けるしかないのだろう。私のアパートの敷地を出ると大通りがあるが、たまにデモのルートとなっているときは前夜から道にある自転車、バイク、そして車は各々によって片付けられてすっきりしている。非難させている、というのがいいだろうか。

上記のデモが開催されるのは大抵土曜日の午後であり、開催場所として有名なのがレピュブリック広場という大広場である。最近まで勤めていた会社が、こちらの目と鼻の先にあったので土曜日は要注意であった。というのも、会社がある場所がたまにルートの付近とされていて、暴力的な光景も何度か目にしていたのである。帰り道にゴミ箱が炎上している様子も目の前で見てしまった。政治的な内容なので、このような場所に詳細は記さないことにするが、このような暴力的な行為はデモ参加者ではなく、騒ぎに便乗して来ているデモの主体とは一切の関係のない人達によるものである。

次の例は、7月14日の革命記念日だ。この日は一年の中で必ず車が燃える日とされている。必ず車が燃える日と言い切れるのも普通ではないのだが、外せない一日だ。この日はフランスの歴史的な記念日であり祝日となっており、朝から軍事パレードや飛行機ショー等、国を挙げての一種の祭りのような一日である。夜にはパリ市のエッフェル塔前で長時間のコンサートが開かれ、23時頃には同場所にて30分程に渡る花火が催されたりしている。車が燃えるのはどうやら全てが終わった後らしく、パリだけでなく郊外、国内全体で燃やされることが多いらしい。

面白い記事を発見した。これは2018年のニュース記事なのだが、「7月14日に845台の車が燃やされているが、前年は897台燃やされたのでやや減少している」と小見出しに書かれている。冷静な解析であり笑ってしまった。

他の例としてあげられることは、大きなサッカーの試合があるときだ。2018年にフランスが優勝した際のワールドカップ選でも、かなりの数の車が燃えている。そんなにも祝福しなければいけないことなのだろうか、と個人的には疑問に思うほど(サッカーに興味がないため)多くの人々が勝利に喜び、朝方まで外から叫び声やら車のクラクションは止まなかったことを覚えている。喜び、祝福=車を燃やす、ということになるのだろうか、この日は13000台の車が炎上してしまったようだ。その上、89人の死者まで出ている。

理解が出来ないのにも程があるのだが、この国では欠かせないある種の表現の仕方のようだ。パリでは燃やされるチャンスが多いため、車を持たないという人も多いのではないだろうか。こんなにも多く、車が燃えていくのを目にする国は世界中でそんなに多くないと思う。

関係ないが、「パリは燃えているか」という有名な作品もある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?