デザインがダサいと指摘されたら、まず屏風からカッコいいと思うトラを出すことから始めよう
デザイナー歴 22年ともなるとにさすがに「このデザイン、ダサいんで直して欲しいです」と言われてもそれほど狼狽えません。
「あー!すいません!わたしが作ったデザインがダサいからなので、メンバーは何にも悪くないんです!ごめんなさい〜。」と笑って返せるくらいに自己を落ち着けるための理論武装ができています。
カッコいいはみんなの心の中にある
デザイナーとして審美に心を砕いていると最終的には「カッコいいは…それぞれのみんなの心にだけ存在しているんやで🤗」となるので、「あ、アナタのカッコいいとは違うんですね〜」とできるからです。
デザイン = ビジュアル設計と考えるのであればダサいと言われるのは「アナタ、仕事できないんですね」と言われるくらい悲しく致命的なことであります。
デザインは見た目を作ることではない
しかしながら実際はデザイン = ビジュアル設計ではありません。
目的を達成するためのアプローチを考える手段の中で、ビジュアル品質が著しく「顧客の誤解を産む」「体験に悪い影響がある」という事はそうそうありません。
期日までにこの情報を公開したい
利用者が友だちを招待できるようにしたい
などに関して、ビジュアルによって数字が変化することはあまり証明できるものではあません。
わたしが主戦場にしているソフトウェア開発に限定される話ですが、あんまりにもヒドくなければ公開しちゃって使えればいいんです。
市場に出してから進化させていくのも大切ですので。
そして、公開後に顧客の体験を阻害する要因があるなら直せばいい。
それでもカッコ良くするのは…そのプロダクトに誇りをもっと持ちたいから
見た目のカッコ良さを目指す目的は、それによる士気向上です。「誇り」の意識を作ることですね。
組織外の人に「あのカッコいい/便利/すごいサービスのところ」と認識されることは間違いなく内部の人間の「誇り」となります。
デザイナー不在組織においてデザイナーが加入したということは、彼らの「誇り」をさらに強固なものにするという事でもあります。
でも何がカッコいいかはチムメン全員でそれぞれ違う
しかし困ったことながら「カッコいい」は全員が同じように思えるものではありません。舌で感じる味のように個人差があります。
「俺にはしょっぱい」「ちょうどいい」「ギリギリ味が壊れないラインを攻める旨さ」
これはまちまちであり、世の中の料理人は「俺がうまいと思う味はコレです」と自分のうまいを皿の上で表現しています。
デザインに置き換えると「俺の思うカッコいい」を出して、それに対してどのように他者が思うかを知る必要があるのです。要は最初のカタチがなければそれまでは評価しようもない。
チームの「カッコいい」公約数を作ろう
チーム開発でデザインをハンドリングするのであれば、メンバー全員の団結できる「カッコいい」を形作る必要があります。
デザイナーも料理人と同様、その表現がそぐわなければ店を変えればいい訳ですが、職業として行っている以上、どのような場所でも再現性をもってカタチにしてきたいですね。
では、そのチームのカッコいいとはなんでしょうか?
じゃ、まずキミの「カッコいい」を屏風から出してみようか
そのためにはチームメンバー、ステークホルダーの見えている「カッコいいもの」を抽出し、その対象がどのような要素を持っているのかを言葉にする必要があるのです。
「このデザイン、ダサいからカッコよくして」とは一休さんの屏風の虎のようなものですね。
「分かりました。必ずカッコよくしてさしあげましょう! では、まず貴方の頭の中からそのカッコいいを取り出してください!」
昔話の一休さんではトンチ勝負を挑んだ城主さまが、「屏風の虎が毎晩悪さをするのでしばりあげてくれ」と一休さんに依頼します。彼は「では、まず虎を出してください!しばりあげてみせますので!」と返し、虎は屏風から出る訳がないと城主に口に出させることでトンチ勝負で一本を取ります。
http://hukumusume.com/douwa/amime/jap/j07_19.html
一休さんのように一本をとる必要はありませんが、「ダサいからカッコ良くしたい」という依頼にはまず、依頼者のカッコ良いを定義してもらわなければなりません。
ダサいと言われたらチャンス
もしそれが彼らの頭の中にしか存在しないのであれば、我々デザイナーのチャンスですよね。だから「ダサいと言われたらチャンス」です。
ひとつひとつ彼らのカッコいいものを挙げてもらい、自社のプロダクトと比較して、何が良いと思うのかを聞きます。
分解、再構築、共通点を洗い出し、言葉にする。彼らの中にまだ無かった彼の思うカッコいいものの合意がとれれば、OK。
あとは表現が得意なデザイナーさんにそれを依頼すれば良い話です。
あとは自分じゃなくてもいい
わたし自身が作る必要はなく、頭の中に存在する未だカタチになっていないものに名前をつけてあげるだけで十分価値は感じてもらえると、私は思うのです。
なぜならそれは、一人だけでしか出来なかったことをそれを読めば3人、5人、10人が操作可能になるということです。
一定のスキルを持つ人たちが自分たちで咀嚼をし、新たなものを生み出す力を持つということがチーム開発で一番ワクワクすることじゃないですか?
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奇しくもあるプロジェクトで「ダサい」というような事を言ってしまいました。「言い方ぁっ!」と自戒していると、その次の日になんと自分も別プロジェクトでクライアントから「ダサい」と言われる運命的な出来事がありました。
自分も相手にそのように言うからには自分の見えている「カッコいい」をビジョンや言葉、ビジュアルにて出す必要があります。そして私はその責務が足りていなかったというコトですね。
ダサいという事をどう対処しているのか。自分が仕事ではどうしているか。どのように考えているかをまとめておくことで自分の頭の中にいつまでも巡るこの出来事を整理したかったのです。
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