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赤い靴「わざと騙されたふりをする」

旅立ちの前に赤い靴と巡り合う。

イタリアに来る直前赤い靴を買った。

♪赤い靴〜は〜いてた〜
 お〜んな〜の〜こ〜♫

横浜の波止場から船で旅立ったのではなく飛行機でイタリアへ。程なく赤い靴を履いて息子達の父親の住む家に引っ越し。20年以上前の9月、ちょうど私の誕生日だった。

日本を発つ前、その店舗に一足だけあったスエードのショートブーツにひとめ惚れ。当時よく着ていたジャケットにぴったりだった。分厚い靴下は履けないくらいのぴったりサイズ。

処分したのはいつだろう?

息子達がそこそこ大きくなって、溢れんばかりの物を手放したときだ。たぶん。

2回目の赤い靴は長男を出産する前。

落ち着いた深い赤の革靴。軽快な服装にも、お出かけ仕様にも合わせることができる万能デザイン。靴底がぼろぼろになったものを修理して今でも履いている。

3回目の赤い靴。
買ったのは魂の片割れだった。

写真が届いた。彼が登山を始めて1年が過ぎ、雪山にも登るようになった。求めていた品質の靴が一足だけ、破格の値段になっていたらしい。発色のきれいな赤い登山ブーツ。

「赤い靴なんて買ったことないよ」

旅立ちのタイミングなのだ。

♪赤いくつぅ〜 は〜いてた〜 女の子ぉ〜
い〜じんさんに つ〜れられて
い〜いっ ちゃっ た〜♫

歌いながら白湯を飲む。

「いじん」は誰だ?
伊人・異人・偉人・意人・居人…。

イタリアへの旅立ち。
母親修行のはじまり。

そしてツインレイの片割れが雪山もざくざく登れる高品質のブーツを手に入れた。

「山屋は敵にまわさない方がいいし、仕事のパートナーにもしない方が無難」

2チャンネルを作ったひろゆきさんがそう言っていた。山屋は命をかけて遊ぶことにお金を払い、ひょうひょうと生きる人種。自分の限界に静かに挑み続ける。

薄っぺらいきらびやかさとは一線をひいた世界で生きている。「楽して儲ける〇〇術」という感じのノウハウ本のキャッチコピーが「今年の新色のマニキュア」と同じくらい響かない人生を選んでいる。つまり世間の流行りに流されない。

趣味は命がけ。死ぬことを望んだり、痛みを感じない訳ではないけれど、「生」の世界に「死」があたりまえに内包されていることを知っていて恐れない。だからこそ慎重に行動できる。

生死の境界線を肌で感じる経験があり、それを活かすことができれば「命」の輝きの全ての瞬間を尊ぶことができる。

そういう人間は片手間で騙すことができない。扱いにくい。思い通りに動いてくれない。

むやみに逆らったりしないけれどアンテナが鋭い。一歩一歩の足場をしっかり確認しつつ野性の感覚を使って山登りをする。命がけの訓練を趣味にして繰り返している人間は、薄っぺらい嘘や虚構を瞬殺で見抜く。

空気や風を読み、天候の変化を肌で感じる。五感とそれ以上の感性が磨かれた人間を騙すことは容易ではない。

私は雪山登山をしない。

だけど人間にまみれて空気の流れを読み、関係性の変化を感じつつ、五感とそれ以上の感覚を磨きながら生きてきた。

わざと騙されたふりをしたことがある。相手が嘘をついていても、不正をしても、知らん顔をしてあげる。それが私自身に致命傷を与えない行為であれば。

中国でタクシーに乗ったとき、私が中国語を話せない日本人だとわかった途端、通常料金を倍以上に設定した。

それを見てみぬふり。日本円に換算したら高額ではなかったから。運転手はきっと、その日の収入が増えて嬉しいだろうと思ったから。

日本で働いていた頃、本当は好きじゃない仕事をしている人が仮面をかぶって、一生懸命に取り組んでいるとき、その営業トークに乗ったふりをしたことがある。相手の内なる声が聴こえる。

ホントは辞めたいけど…でも今回はイケるかも…販売成績が悪いと怒られなくて済むかも…自腹を切らなくてもいいかも…

でもそれは、いっときの救済。

いやむしろ逆に、辞めたい仕事にしがみつく手助けをしていたのかもしれない。この世の物事は全て表裏一体で、視点を変えれば違う表情が見える。

「騙されたふり」は単なる応急処置にしかならないのかもしれない。けれども流れている血を止めて、いっときは楽になるだろう。

人間ドラマはどんな切り口で眺めるかによって表情をころころ変える万華鏡。少し動かすと様相や色調が変化する。

春の気配が空気に溢れる今日この頃。

そろそろ赤い革靴を履く季節がやってくる。これから「生まれつき赤い靴を履いた人」と行動をともにする機会がある。行動力の塊みたいな火の玉人間。

4回目の赤い靴は人間の形をして現れた。

どんな旅になるだろう?
とても楽しみ。

いい天気です。
素敵な1日をお過ごしください。

Grazie 🎶