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どんなに突飛な物語だと思ってもそれが現実になる魔法

デスノートって詳しい内容は知らないけど、確かそんなアニメだよね?そのノートに名前を書くとその人が死ぬ、という設定。確かドラえもんにも似たようなノートが登場した記憶がある。

どうしても作家になりたいと切に願っているつもりはないのだけれど、時折取り憑かれたように物語を書き綴ることがある。

ことばが降りてくる。ストーリー展開も映画のコマ割りのようにざざっとみえる。登場人物が動いてしゃべりだす。そのスピードが速すぎて手が追いつかない。だから殴り書きのようにずらずらと紙に落としていく。

数えていないけれどたぶん5〜6種類くらいの物語を並行して書くことが多い。登場人物の性別・年齢、状況設定などはバラバラ。名前や家族構成・略歴・好みなども降りてくる。

そうなるとしばらくの間、まるで超売れっ子作家として暮らしているかのように、起きて身支度や雑務をこなす時間以外は紙にペンを走らせている。パソコンに入力するバージョンもある。

自分が一生懸命考えて書いている感覚がない。誰かの思考や人生にリンクして書いているんだろうか?という感じ。

「私」が介入するのは推敲。普段とは違う筆跡を追って読み返す。わかりにくい表現やクドい説明に赤ペンを入れる。まるでひとりレッスン。添削と推敲は何度もする。

5〜6年前にその「執筆家君臨期間」がやってきた。2人の息子達は中学校へ通っていた。毎朝、車で子供達を送り届けたあと近所のバールで数時間、お気に入りの席を独占してゾーンに入った状態で書く。

余談ですがバールというのはエスプレッソコーヒーを飲んだり軽食を食べたりできる店。通信・光熱費などの支払いもできる。規模によりけりだけど生活雑貨も扱う。イタリアでは日本のコンビニ的な存在。

話を戻して繰り返しになるけれど、作家を目指している気は毛頭ない。「ゾーンに入る」感覚を味わいたくて紙に物語を書くという作業をしているのかもしれない。

そしてピタリと止める時期がくる。飽きた、とか未完のままじゃダメ、といった感情も湧かない。ふと気づくと物語を書き綴っているファイルを手に取る事がなくなって、数年放置される。長編は物語の途中だけれど短編や絵本の草案はストーリーが完結している。

あ!書いてる事が全て現実になっている!

と気づいたのはいつだろう。もちろん女の身体を持った私は男になっていない。若返って異国を旅していない。ましてや動物に変幻などしていない。そういう見かけのシンクロではない。

全ての創作物語には「見かけの設定」と「みえない本質の流れと構造」がある。現実化しているのはみえない本質的なエネルギーの方だ。

別のことばで言えばテーマ。伝えたいメッセージ。取り上げたい本質的な題材や出来事の構造が現実となって「私」の人生に起こる。

初めてそのことに気づいたときは怖かった。書くことが全て現実になる?じゃあ本気で誰かを呪ったり酷い物語を綴ったらその人は本当に不幸になってしまうのだろうか?と自分自身が怖くなった。

だから当然、作家になりたいとは思わなかった。喜怒哀楽の浮き沈みもなく事件の起こらない物語なんてつまらないだろうから、なにも書けない。そして「書く」ことをいったん封印した。

封印は突然に解かれる。数年にいちど「書く」時期がやってくる。

5〜6年前に書いた物語を体現して生きていることに改めて気づいたとき、笑った。そうかそうか。あれは一種のチャネリングで私の人生の予言だったのか。そう理解して大笑いした。

数年後のなりたい自分をリアルに描いて、逆算して今やるべきことに集中しよう!というような啓発のセリフがあるけれど、どうやら私の場合は勝手にことばが降りてきていた。物語の方から先にやってきた。

今はそのからくりを有効活用している。俗に言う「願望実現ノート」のように物語を綴る。なるべく細かく描写する。

着ている服。家の窓からの景色。朝聴こえる音。毎日の食事。飾り棚に置いてある小物。
気持ちや感覚。誰とどのように過ごすか。

すぐに映像化できる程に丁寧に書く。ペンを走らせている時の私は映画監督であり脚本家。そして細やかな情景を調える小道具調達も担当する。もちろん主演は私自身。

そんな風にして書いた暮らしをリアルに今やっている。再現性の細かさに改めて驚く。文字にして書くことで潜在意識にしっかり刻まれるというのはホントだよなと納得するばかり。

これからのことも書いてある。誰かを死に導くデスノートではなく、自分を生きるライフノート。

端的に言うと魔法は
「文字にして書く」
それだけ。

いろんな人が手を変え品を変え細部を変えて伝えてるよね。自分の手で書け、と。それホントだよ。デジタルでもいいんじゃないかな。誰かにみせるためじゃないから何を書いてもいい。書き方も自由。私は重箱の隅をつつく完璧主義者だから添削も楽しくやってるけど、正解も間違いもない。

個人的には紙にペンで書くのが好き。ノートはとびきりかわいいお気に入りを選ぶ。手に取ってよし眺めてよし書いてよしのハイスペックなヤツを使う。

気分が乗らなければ書かない。ふと読み返してみようかな、また書こうかな、っていうタイミングが来るまで放置プレイ。

書くのが苦手な人はことばにして言うだけでもいいと思う。音にしてことばを放つ効果は文字にして書く効用とは少し違うルートで影響力を及ぼす。

これに触れると長くなりすぎるから。
今回はここまで。

おやすみなさい。

Grazie 🎶