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自粛生活を経て気づいた自分にとって大切なもの

昨年別のアカウントで期間限定で公開していた記事を移しました。

私にとって"やりたい"という気持ちがとても重要なようだ。
それは自分のやりたいだけではなく、他人のやりたいも含めてだ。

コロナによる自粛期間中に大きく心を動かされた出来事がふたつある。

ひとつめは物凄く悲しく悔しい気持ちにさせられたこと。
学生シアタースポーツ大会2020(以下「学生シアスポ」)の中止だ。

学生シアタースポーツ大会とは
私の所属する劇団「インプロカンパニーPlatform」が主催しているインプロ(即興芝居)の学生大会。学生たちがインプロに触れる場を作るため、参加費無料ノルマなしで、劇場費など運営費は毎年クラウドファンディングなどでご支援いただいている。

オンライン会議で中止が決まったとき、通話を切った瞬間涙が出た。中止はもう想定できていたことだし、他の主催イベントも軒並み延期やオンライン化していて、正直悲しいけど慣れもあった。

実施できないことは薄々わかっていたし、もし誰かが「それでもやろうよ」と言ったら私は反対したと思う。どんな状況でも実現させるのは私たちにとっての美談になるけど、それで本当に提供したかった経験を学生たちに与えられるのか。開催するのは、提供したい経験のための手段であって目的ではない。私は目的がズレたら意味が無いという価値観だ。

だから自分でも泣けてくるとは思ってもみなかった。勝手に次々と流れてくる涙に驚いた。
じっくり自分を観察してみると、身体に広がるその感覚に覚えがあった。

それは障がい者支援の仕事をしていて、ある利用者さんの"やりたい"を実行できなかったときだ。できなかった理由は至極真っ当で、ベターだったと今でも思う。もしかしたら現実的にはベストだったのかもしれない。でも、まだ検討する余地があったのではとか、実行できなくても"やりたい"気持ちだけはもっと大事に扱えなかったのかとか、納得のいかない気持ちがぐるぐると身体の中で渦巻いた。"やりたい"が無下にされる世の中が嫌だった。

その時感じた"悲しい"と"悔しい"と似たものを学生シアスポ中止で味わった。つまりそれは、誰かの"やりたい"が阻害されるのを見たときに湧き上がって来るようだ。

一方で、学生シアスポの中止が決まった翌日には嬉しいことがあった。

私は学生時代にはじめて自分が主宰して公演を打った。大好きだった戯曲を使った台本のある演劇だった。
その時友人の紹介で出演してくれた男の子が、今2.5次元俳優として活躍している。コロナで中止になったが、有名ゲームの舞台版で初主演が決まって全国を回る予定があったり、ドーム公演も決まっていた。そのプロモーションのインタビューを読んでみたら、俳優の道を選んだきっかけの1つとして、私が主宰した公演で演技するのが楽しかったからだと書いてあった。

それがもう堪らなく嬉しかった。公演自体がというより、お芝居の楽しさに気づいたというニュアンスだから、私ができたのはきっかけ作りであり、具体的に力になれた部分はないのだけれど。

そもそも企画を立てた理由が
①誰かの何かのきっかけになる舞台を作りたい
②誰よりもキャストに楽しんで欲しい
というものだったから、当時のやりたいことが叶えられていたと知れて本当に本当に嬉しかった。
自分と他人の"やりたい"が同時に実現する喜びは最高だ。

この二つの出来事を通して、私にとって"やりたい"はすごくスペシャルなことだと知った。
自分のやりたいを大事にしたり、誰かのやりたいに貢献できる場面が増えると、私の幸福度はぐんぐん上がっていくと思う。

ひとつ自粛生活に感謝したい気づきを得た。

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