見出し画像

あれを恋と呼ばないのなら、なんて呼べばよかったんだろう

先日、初めてペーパーウェルさん(ネットプリントやデータなど、ネットを通してさまざまな作家さまの、さまざまな作品に出会えるすてきな企画)に、作品を出す側として参加しました。

ペーパーウェルさんには毎回テーマがあり
今回のテーマは“扉”ということで
わたしは、20代、30代と、本や文章にまつわる、さまざまな仕事を体験してきた

──さまざまな扉をノックしてきた──

その記録を書いてみました。

大学、古書店、新刊書店、出版社、フリーの添削員やライター、図書室やZINE……
興味のおもむくままに放浪してきた記録

その中でも、新刊書店に勤めていた話について
字数の関係で割愛してしまったけど、今でもわたしのこころに深く残っているあるエピソードを
ここで書かせていただきたいと思います。

あれを恋と呼ばないのなら、
なんて呼べばよかったんだろう


今でも、折に触れて思い出すことがあります。

わたしの勤めていた書店は、店員どうし、本当に仲の良い職場でした。
まあまあ大きな規模の書店でしたので、社員もアルバイトもたくさんいます。それでも、老若男女、仲良く、切磋琢磨しながら、それぞれ一生懸命に仕事に励んでいる──
そんな恵まれた職場はなかなかなかったように思います。

それでも、さまざまな事情で辞めていくバイトさんや、転勤になる社員さんはいます。
そのようなときは、近しい仲間が贈り物をしたり、送別会を開いたりしていました。

彼女は、オープニングスタッフとして働いていたわたしたちより少しあとから入ってきた、アルバイトの女の子でした。
女の子、なんていうのは失礼で
年齢的には立派な“女性”でしたが、小柄で華奢なスタイルや、きれいな黒髪のボブカット、白い肌、時々少し遠くを見ているような、そんな黒めがちな瞳などの中に、わたしが勝手に少女性を見出していたのだと思います。
なんとなく浮世離れしているというか。
ミステリアスというか。
そんな彼女を、わたしはとても魅力的なひとだと感じていました。

さて、月日は経ちます。
わたしは、例の彼女がバイトを辞めるらしい、と仲間から聞きました。

「そうか、じゃあなにかお餞別を贈りたいな」

彼女とは担当ジャンルも違いましたし、プライベートでご飯を食べに行くほど深いかかわりはありませんでした。
休憩時間があった時などは一緒にお弁当を食べ、おしゃべりをして静かに笑い合うくらいはしましたが、比較的浅めのお付き合いでした。

それでも、なにかささやかでいいからお別れの品を贈りたい。

そう思ったわたしは、ある日、ちょうど休憩が一緒になった彼女に、
「辞めちゃうって聞いて。気持ちだけでも何かプレゼントしたいんだけど、どんなものなら迷惑にならないかな」と尋ねました。
ハンカチや小物は趣味に合わなかったらかえって悪いし、やっぱりお菓子が無難かな。ちょっとかわいい缶のクッキーの詰め合わせとかにしようかな……
そんなことをつらつら考えていたわたしに、彼女は
「じゃあ、その本ください」
と、わたしが手にしていた文庫本を指差して、言いました。
迷いのない、はっきりとした声でした。

「えっ?これ?◯◯さん(彼女のお名前)も森茉莉すきなの?」

……と、わたしが言ったかどうか。
このあたりはあまりよく覚えていません。
なにしろ、想像もしていなかった回答だったので、びっくりしてしまったのです。
この時、彼女が欲しいと言ったのは、わたしが休憩中によく読んでいた、森茉莉の『貧乏サヴァラン』でした。わたしの愛読書です。

彼女の申し出はとても意外でしたが
本を贈るのは素敵だと思いましたし
自分のすきなものを欲しいと言ってもらえたことも嬉しかったので
わたしは少し驚きながらも、すぐに承知しました。

「わかった!じゃあ新品を包装して渡すね」

森茉莉の『貧乏サヴァラン』がだいすきなわたしは、自宅用、仕事場用、カバンに入れる用、といつでも読めるように同じ文庫を何冊か持っていました。
その時手にしていたのは最もぼろぼろで、カバーの背の字が薄れてしまっているような、そんな状態のものでした。新品を買って贈るのがどう考えても妥当だと思いました。

しかし、彼女は「いえ」と小さく言い、続けて
「◎◎さん(わたし)が持ってる、その本をください」と言いました。

「え!だってこれわたしが読んでたやつだからぼろぼろだよ」
「大丈夫です」
「遠慮しないで大丈夫だよ、新しいの贈るよ」
「それがいいんです」
「えー……ラッピングは?」
「大丈夫です」

こんなやりとりを少ししたのち
わたしは自分の手に持っていた文庫本を
どきどきしながら、彼女の手に渡しました。

「本当にそれでいいの?」
「これがいいんです」

そう言って、彼女は「ありがとうございます」とぺこりと頭を下げました。

せっかくだから、文庫担当さんに頼んでピンピンの美本を版元に発注してもらって、ラッピングも自分でして。
その方が贈り物としてふさわしい。
わたしはそう思ったのですが、彼女はいっこうに気にする様子もなく、少しだけページをめくり、ぱらぱらと目を通して、それから自分のカバンに、そのぼろぼろの『貧乏サヴァラン』をしまいました。
そして数週間後、彼女は店を辞め、去りました。


あれから十数年。
彼女とは一度もお会いしたことはありません。

わたしは『貧乏サヴァラン』を読むたびに
彼女はどうしてあんなぼろぼろの文庫本が欲しかったんだろう、と思い出します。
遠慮をしていた、とは感じませんでした。
彼女にとっては、取るに足らないことだったのかもしれません。自分のこころに、衝動に、素直に動いたまでに過ぎなかったのかな、とも思います。
なんとなく、そういう自由な風をまとっているひとでした。

でもあのとき
あの休憩室でのわずかな時間
わたしと彼女のあいだには
同じ職場の仲間ともちがう
ともだちともちがう
先輩後輩ともちがう
なにものとも形容しがたい
こころとこころのやりとりが
たしかにあったのです

あれはなんだったんだろう
今でもそう思います。
忘れられなくて
思い出すたびに胸がやわくいたむような
はかなくせつない気持ちになります。

あれは、あの高鳴りはなんと呼べばよかったのだろう。

こたえはいまだにわかりません。