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バイリンガルへの道2

大学在学中にコロラドの片田舎までペンパルに会いに行った私。きっかけは、中高時代の親友が語学の専門学校を卒業してドイツに就職したことでした。私も海外に行ってみたい、それだけ(笑)。

13歳から文通を続けていたペンパルMarlaは私より一歳下で、彼女は中学校の先生から「やってみないか」と言われて手紙を書いたと言っていました。私は国際文通協会みたいな名称の協会を通して彼女を紹介されました。

私がコロラドに行ったとき、Marlaは専業主婦で2児の母親、旦那のRobbieは水道局勤務で一家4人を養っていました。私が育った文化圏では10代の妊娠と結婚は珍しいものでしたが、彼らを見て特に奇妙と思わなかったのも事実です。

当初は春休みの期間だけ彼女たちの家に滞在する予定だったのですが、3月初めから利用していた航空会社が1か月間のストライキに入り、それが終わる数日前にステイプルトン空港が1か月のストライキを開始。3月下旬で帰る予定が、一番早くて5月下旬にずれこんだのです(ちなみにチケットは1年オープン)。

ところが、周囲の人たちが全員「このまま居たいだけいればいい。帰るなという神様の思し召しだから」と言い始め、3月半ばにRobbieの叔父夫妻が「彼らはまだ若くて経済力がないから、このまま居るなら家に来なさい」と招待してくれました。

どうせ帰国しても大学の受講申請に間に合わないのだからと、私も即座に居続けることを決意。大学に休学の手続きの仕方を教えてくれと手紙を書き、その連絡が親に行き、父が私の代わりに休学申請をしてくれました。

そうして始まったコロラド片田舎生活は、周囲の愛に溢れたスパルタ教育(笑)のおかげで、前回のブログで書いた通りに6週間後には本来のお喋りな私がバイリンガル初心者として復活しました。

仕送りなしの私は大学入学直後から常にアルバイトをしていたのですが、コロラド時代はホストファミリーになってくれたMarie  & Duane夫妻のおかげで、仕事をしない生活を初めて体験しました。

さらに初体験だったのは、周囲の人たちに愛されること。私が子供の頃の日本の親は、子どもに対して「愛している」や「あなたのここが素晴らしい」と言わないのが普通で、賞を取っても、良い成績を収めても、一度も褒められたことがありません。

でも、コロラドでは周囲の人たちが真っ直ぐに愛情を示してくれるんですよ。これは衝撃でした。滞在ビザ更新時に後見人になってくれたM&D夫妻は、私をそのままコロラドに残すべく、数回お見合いをセッテングしたり、「うちの子にならない?」と言ったり。

そういう周囲の愛情も言葉を覚えるのに役立ったと思います。人は自分が愛されていると感じると、がぜん気力が漲りますからね!

そんな中で言葉を覚える一番の助けとなったのがMarlaの長男Sky。当時3歳のイケメンベイベはなぜか私に一目惚れしたらしく、四六時中ひっついていたため、彼と一緒に言葉を覚えた印象がとても強いです。

ただ、M&D夫妻の家に移動後、Marieが「スペリングゲーム」を提案し、暇なときに彼女が発した単語を私が書き取るゲームをやっていました。これが知らない単語でもけっこうな確率で当たるので、Marieが驚いていましたね(手書きで歌詞写しの効果発揮✨)。

とにかく、テレビ、新聞、雑誌、そしてみんなとの会話が教科書でした。中西部の文化の中に身を置いて、そこでの暮らし方を覚えながら、英会話もぐんぐん上達していきました。

当初、連載にするつもりはなかったのですが、こういう勉強法とは異なる語学学習の経験談が誰かのお役に立つかもしれないので、少しの間、書き続けてみます。

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