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大人とはどんな人なのか

こんばんは。みきたにし☆です。

「大人げない」とか、「いい大人のくせに」なんて言葉を耳にすることがあります。

……っていうか。


「大人ってなんだよ」と、一度は思ったこと、ありませんか?


今日、わたしは「答えの一例」を見つけました。


ずばり、「身の程をわきまえている人は大人だ」!(年齢は関係ありません!)


「身の程をわきまえている人は大人だ」と思ったきっかけ

今日、お仕事でミスを発見しました。

備品が明らかに足りない……発注すべきタイミングで、発注していなかったのです。今から発注したのでは、とうてい間に合わないことだけは分かりました。

わたしはすぐに、先輩に相談しました。


「ちょっと事故です!」と。


その結果、先輩がかつて配属していた部署から、備品を貸してもらえることになりました。あとは通常通りに発注して、入荷したものを、その部署に返却すればOKということになり、ひとまずは胸を撫で下ろすことが出来ました。


変に意地をはったりせず、すぐに先輩に相談して良かったと思います。


自分ではどうにもできないことは、悪あがきをせずに、素直に人に頼れる。自分のキャパを分かっている。


これができるのは「大人になった証拠」ではないだろうか?と思いました。


そうは言っても

「身の程をわきまえている」というのは、裏返してしまうと、「潔い」もしくは「諦めが早い」とも言えます。


経験を積むことによって、「見切りをつけること」も手段のひとつだと知ったわけです。


何かを生かすために、何かを後回しにしたり、あるいは、諦めたりすることは、選択としては「あり」なのでしょう。


ただ、この手法は、積極的に身につけたというよりは、大人になっていく過程で、「受け入れられるようになってきた」というのが実感としてあります。


若い頃のわたしと、今のわたし

若い頃は、感情に突き動かされたり、ちっぽけなプライドにしがみついたりして、明らかに許容範囲から逸脱するほどの量を、腕の中に抱え込もうとしたものでした。


今は、何かに打ち込もうとしたら、他のことは手薄になります。

そのことについて、「今はこちらに注力するときだ。もう一方は温めておこう」と、リラックスして考えられるようになりました。


これは、「諦めている」とも言えます。


でも、「諦めている」現状が、必ずしもネガティブな状況ではないと思えるようになったのも、確かです。


わたしは、あの頃の、ただ、むやみにもがいているだけの自分と比較して、ずいぶんと大人になったのだと実感しています。


「身の程をわきまえる」「自分のキャパを知る」


これができた人は、その点においては、「大人だ!」と思います。


ただし、その点においての「成長がストップしてしまう」可能性もあります。

だから、良し悪しですね……。


大人になるということは「良し悪しひっくるめて受け止める」、つまり、「清濁併せ吞む」ということなのでしょう。

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