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保守の精髄~歴史とは教訓であってはならないということについて

歴史は決して二度と繰り返しはしない。だからこそ僕等は過去を惜しむのである。歴史を貫く筋金は僕等の哀惜の念というものであって、決して因果の鎖というようなものではないと思います。

それは、例えば、子供に死なれた母親は、子供の死という歴史的事実に対し、どういうふうな態度を取るか、を考えてみれば、明らかな事でしょう。母親にとって、歴史的事実とは、子供の死という出来事が、幾時、何処で、どういう原因で、どのような条件の下に起こったかという、それだけのものではあるまい。 小林秀雄「歴史と文学」

 この度の、戦後史に長く語り継がれることになるであろう悲劇をとりとめもなく、寂寥の念で反芻するにつけて、小林秀雄のこの言葉が脳裏に木霊する。

 私たちは果たして、一人の偉大な人間の死を、子供をなくした母親のように、幾時、何処で、どういう原因で、どのような条件の下に起こったかという以外の部分で、残された人間としてそれをありのままに受け止められたのだろうか。

 思想の左右を問わず、この禍々しい出来事に対して、まず人々が反応したのは「民主主義への挑戦だ」「言論封殺だ」「これで参議院議員選挙は自民圧勝で決まりだ」という、教訓めいた言葉であった。

 最後の、自民圧勝という参議院議員選挙の話にしてしまうのは論外としても、安倍さんを慕う者までもが、いつの出来事だ、何処で殺られたんだ、誰にやられたんだ、思想的背景はあるのかとにわか刑事になっていた。

 私はぼんやりと、それは警察に任せればいいと思った。まるで通夜の席上に、何十年も死んだ父とは会ったことのない大人たちが、声高に生前の父のことをあれこれ話すのを、その内容がわからないまま、ぽつんと座っているように、私は大人たちの声を聞いていた。

 それよりもすることがあるはずだ、と、呆然とその喧騒の中に、安倍さんを敬愛していたはずの人たちの姿までもいっぱい見るにつけ、なにか大切なものが、他ならぬ安倍さん自身が大切にし、失われようとしているその精神のあり方、心の持ち方を、安倍さんを敬愛していたはずのひとでさえもあっさりと忘れてしまっていることに、言いようのない大きな喪失感を感じた。

(歴史とは)かけ代えのない命が、取り返しがつかず失われて了ったという感情がこれに伴わなければ、歴史事実としての意味を生じますまい。若しこの感情がなければ、子供の死という出来事の成り立ちが、どんなに詳しく説明できたところで、子供の面影が、今なお目の前にチラつくというわけには参るまい。歴史的事実とは、嘗て或る出来事が在ったというだけでは足りぬ、今なおその出来事が在ることが感じられなければ仕方がない。母親は、それを知っている筈です。 同書

 母親にとって我が子の死には、何の教訓めいた意味もない。例えば戦時中、戦地から遺体で帰ってきた我が子の亡骸を見て、いろんな手続きをしてくれた親切な軍人さんに「ご子息はりっぱな戦死を遂げられました」と言われても、それにはただ、能面のような顔をして、きちんとありがとうございました、という他ないはずだ。

 母親にとっては、交通事故も名誉の戦死もまったく同じことで、それは、何処まで言っても、息子がもういなくなった、もう二度と再びは会えないという単純な事実なのである。憲政史上に残る名宰相を、我が子のようにと言っては何だか誇大妄想狂のおかしな人みたいであるが、私がいいたいのは、もちろん歴史のことである。

 私たちが歴史を愛おしく思うのは、それが二度と戻らない、たったいっかいきりのできごとであるからだ。

 失恋した友人に「もっといい男いるよ」となぐさめること。流産してしまった妻に「子供はまた作ればいい」と肩を抱くこと。それしか、友人としては、そして夫としては言葉にしようがないわけで、これを薄情だと直ちに断罪してしまうのにも忍びない。でもそれは、かけがえのない、ただ一人を失った人間に対しては完全に無力で虚しい。

 それでもそうせざるを得ないのは、それは優しさに見えてそうではなく、こんな時には声をかけないといけない、という前提に私たちが知らず知らずのうちにとらわれてしまっているからだろう。

 私は言葉というものを誰よりも愛している。でも愛しているということは、愛しているという言葉を使うことではないはずだ。愛していると言わないから離婚することになりました。愛していると言わないと相手にはわからない。これはとてつもない間違った迷信である。言わなければわからないことは、言ってもわからない。愛を言葉にすることは、いつからか、愛の免罪符に成り下がってしまっている。

 同じように、私たちは一人の人の死を目の前にして、通夜の席の残された小さな子供をそっちのけで、「生前はあの人はいい人だった」ということを、まるで自分がつねにその人と一緒だったかのような口ぶりで、我先にと声高に話すこと。これもまた、自分はそれだけ深く故人と関わりがあって、我こそはこの場にいるのにふさわしい人間である、という免罪符を口から発行しまくっていることに他ならない。

 共産党の志位委員長が「とてもさみしく、悲しい思いです」と言っていたのを聞いた時、私はまるで自民党の人が言っているみたいだな、という奇妙な思いにとらわれた。

 通夜の席でぽつんと座っていた幼い子供は、きっと、その声をする方向に立ち上がり、近寄って、その人の目を見て初めて自分も泣くことができると思う。この私が、一緒に泣くことができた人が共産党の最高責任者だったというのはなんだか滑稽にも見えるけど、私は志位さんのこの言葉で初めて安倍総理にたいして、泣いてもいいんだね、という気持ちになり、流し方を忘れていた涙を流しました。

 今日 こんにちは、革新の風が世を覆いまして、文化の新しい創造という様な事が、しきりに言われるようになった。これは、まことに結構な事だと思いますが、歴史は創造であるという様な呼び声が、どんな心性から出てきているかを見極める必要がある。衰弱した歴史上の客観主義も、歴史の新しい創造を口にすることはできるのであります。病人は泣くべきときに笑うこともあるのであります。日本の歴史が自分の鑑とならぬ様な日本人に、どうして新しい創造があり得ましょうか。 小林秀雄「歴史と文学」

 まずはこんな時、さびしくて悲しくなること。そんな人として当たり前のこころを取り戻すことが、安倍さんの生涯をかけた、この国をあたりまえの国に取り戻すことの根っこにはいつもあった。だから、私たちはあの人をこれからも敬慕しつづけるのだと思う。

 彼が政治を通して、日本人に本当に残したかったことは、きっとそういうことではないだろうか。

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