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声にならなくて… 東京ドームのバイト編


#はじめての仕事


「あさっての夜、あいてない?
 単発のバイトがあって、
 東京ドームでジャイアンツのグッズを売るの
 もう一人連れてきてって言われたから、
 一緒にどう?」

何かバイトをしてみたいと思っていた

まわりは家庭教師、飲食店の店員さん、
コンパニオンをやっている子もいた

私には勉強を教えることはできない
飲食店で接客などハードルが高い
コンパニオンなんて発想もなかった

では自分には何ができるのか?
と考えていたところだった

「1度やったことがあるんだけど
 3時間ぐらいで、楽な仕事だと思うよ
 気に入ったら、次は直接依頼が来ると思うし、
 やってみない?」

やってみることにした

東京ドームの入口付近の壁を背にして、
屋台のようなワゴンがぎっしり並べられ、
それがグッズ販売の場所だった

担当するのは人気選手のテレフォンカードのワゴン
私を含め売り子3人で担当する
後方には
売り子を監視するグッズ会社のお兄さんが1人

簡単に説明を受けて、すぐにバイトスタート
少しずつ観戦客がやってきた
グッズワゴンを遠くからも見てくる
どんどん人が増えて、ものすごい人数が
皆、こちらを見ている
緊張してきた

舞台に立って人に見られているような感覚
自意識過剰なんだろうとわかっていても
緊張が取れない

買いに来たお客さんと目を合わせる勇気もない
目をそらしてしまう

他の2人は「いらっしゃいませ」と言っている
それまで誰にも言ったことのないセリフだったが、
私も言わなくては!と思い、言ってみた
でも小さい声
多分自分にしか聞こえてないくらいの声
声が全然出ない

2人は慣れているようで、
買ってくれた人にも大きな声で
「ありがとうございました」と言っていた
それは言えるかもしれないと思い言ってみた
かろうじてそれだけは言えた

どんどんお客さんが増える
お兄さんは監視している
まともに挨拶もできない

どうしよう

しかたない、自分ができることをしようと
2人をメインの売り子として、
私はお金をしまう係と、最後に一緒に
「ありがとうございました」という係
と勝手に役割分担を決めた


しばらくして、後ろにいるお兄さんと
隣のワゴン担当のお兄さんが会話を始めた
他のグッズ会社の人のようだ

「そっち3人もいるんだね」

「いや~実は、本当は2人で良かったんですけど、
 なんか間に入っているやつが受け入れたみたいで~
 まいっちゃいますよ〜
 バイト代払うのはこっちなんですけどね~」

聞こえてしまった
接客で忙しい他の2人には聞こえてないようだ

このワゴン、1人多い? 1人余分?
ってことはもしかして、
お兄さん、バイト代2人分しか用意してない?
それを3等分するの?いや、それは話しが違う
じゃあ、1人はもらえないの?
私は友人から誘われたから、私ではないはずだ
でも待てよ、ここにきた経緯より、
その場で仕事ができるかが大事だよね?
この中で一番できてないのって、
どう考えても私だよね
だって「いらっしゃいませ」もまともに言えないし

まずい、このままではバイト代もらえない
そんなのは嫌だ、絶対もらうぞ!

前に出て言うぞ!

そう思ってもやっぱり言えない
声にならない

バイト代がかかってる、言えるはずだ!

でも声にならない

何度やってもダメ

私はダメ人間
私はダメ人間
私はダメ人間
だって「いらっしゃいませ」もまともに言えないし

………


まあ、

もう、

しかたない

今までやったことがなかったし
切羽詰まってもできないし

売り子は楽な仕事ではないと少しわかった
こんなダメ人間がバイト代もらおうなんて、
おこがましいのかもしれない

もう覚悟しよう
バイト代もらえないのは私に違いない
今日はいい勉強したと思うことにしよう

でも

でもね

この経験を、この先の未来には役立てたい

だから、せめて、今よりも、少しまともに


「いらっしゃいませ」と言わせてほしい


言ってみた
さっきと同じ

もう一度言ってみた
少し大きな声になった

再び言ってみた
ちゃんとお客さんに聞こえたようだ

段々ボリュームアップ
今度はお腹から声が出ている

いつの間にかワゴンの一番前に出て
「いらっしゃいませ」と言う担当になっていた

バイトが終わる最後の10分だけ

私は売り子になれたのかもしれない


お兄さんはニコニコ笑って
一人一人に「お疲れさま」と言ってバイト代をくれた
グッズが予想以上に売れて上機嫌だったようだ


切羽詰まって、力んで何かをやるよりも、
力を抜いてやった方が、案外、ものごとは上手くいくのかもしれない



と思うようになったのは、それから10数年後のことだ


私には次のバイトの話はこなかった



最後までお読みいただき、ありがとうございました

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