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ときには立ち止まること

 方向性の話からの連想です。私はセンソリーモーターサイコセラピー(Sensory Motor Psychotherapy)という身体にアプローチするセラピーを習得、実践していますが、このアプローチでは、しばしば、その身体の感じと共にありましょう(Let’s stay with your ( ) feeling.) とクライエントさんをガイドします。
 
 例えば、その怖かった体験について思い出すと、身体の中で何か感じることはありますか? と尋ね、「肩が緊張します」と言われると、その肩の緊張とともに居てみましょう、と声をかけます。慣れない方にとっては、「緊張とともに居る???」となるかもしれませんが、自分の身体の感覚に集中し、感じていると変化が起きてきます。
 
 それからもう一つ連想。福祉畑で働いていた頃、個室の心理療法からはだいぶ遠い、生活支援をメインにしていた頃です。相談にいらしていた方が、経済的に、身体的に、精神的に、あるいは社会的に、本当に困窮して、にっちもさっちも行かなくなったときに、とにかく膝を抱えてその場にうずくまって、一緒に耐えよう、としか言いようがないことが何度かありました。今は辛いけど、なんとか耐えよう、その先にきっと道が開けるから、今は我慢のとき。ここで動こうと思ったら、自棄を起こして自分か他人を取り返しがつかないくらい傷つけてしまうから、じっとしていよう、というときです。
 
 どちらの場合も、方向性なんてないんですよね。そこに在る、ということが最善であったり、最大限であったりするんです。だから、「前がダメなら上で」に「ただそこに在ること」も付け足したいと思います。
 別に、ずっとじっとしていよう、というわけではありません。自分がいる「今 ここ」をしっかりと感じ、自然と身体が動く方についていったり、嵐がすぎるのを身体を小さくしてじっと耐え、動き出せるようになったら、また動くという話です。
 
 こんな話をするのは、私自身がついつい動き回ってしまう性分だからで、「今・ここ」を大事にしようという自分自身への戒めと、状況によっては、同じ場所に在るだけで十分すぎるぐらい頑張っている、ということを忘れないように、です。人間、成長するのが当たり前ではないんですよ、と。もちろん、環境に恵まれれば成長していくものでしょうが、中には成長にエネルギーが割けない環境の人たちもいて、それは外から見てもわからないことも多いのです。
 
 成長が感じられない子どもに対しても、今この子は何処に立って何を感じているのかなと、つぶさに観察し、その立場や気持ちに寄り添い、その子が安心して歩み始めるまで、傍らで待ってあげられる大人でありたいな、と思った次第です。 
                (M.C)

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