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心とはなんぞや

優しさの定義は難しいですねえ。私はあまり優しいと言われたことがないのできっと優しい人ではないのでしょう。そもそも優しさの優の字の字源を調べてみると、「憂」える「人」のことらしいので、こちらは当てはまっているかもしれません。

そう考えるとカウンセラーは憂える人であり、その姿勢やあり方が優しさゆえによるものと一般的に誤解されがちなのもなるほど、と思います。優しさがスキルになったり優しさでスキルが身についたりするならこんなに楽そうでシンプルなことはないですよねえ。

実は優しさを向ける対象も量も有限ですし、カウンセリングが全て優しさで成り立つならプロはいないわけでして。その点、スキルは学ぼうと思えば無限に学べます。自分としては、憂えるためのスキルはまあまあ身についたなと思うことがありますが、その発動タイミングはまだまだだなですが。

あれ、何の話でしたっけ。ああ、優しさの定義の話でした。優しいって何でしょうね。人の為と書いて偽、人の為に善いと書いて偽善というのが私のモットーですが、人が為すことで不自然さがないのは憂いだと思うのですよね。大小関係なく、悩みや憂いのない人なんていないでしょうし。

で、字源のとおり、憂える人が優しいのだとすれば、憂いの味はやがて優しさの味になると言えるのかもしれません。

 
ところで私は最近心理学者らしく(?)、心について想いを馳せることが多いのですが、そもそも心って何なんでしょうか。あるのかないのか、あるとしたらどこにあるのか、ないとしたらなぜ私たちは思うことができるのか。
心って何ですかね?

         (C.N)

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