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引き際も彼に倣って欲しかった。映画『シェーン』事件

TPP(環太平洋パートナーシップ協定)が発効され、日本での著作権の保護期間が50年から70年になったのが2018年だが、施行日が「2018年12月30日」というのをご存じだろうか。なぜ、2019年1月1日ではないのか。これについて説明を見つけることができなかったが、本稿で述べる「シェーン事件」と無縁ではあるまい。この事件こそまさに1月1日の始まりが問題にされたものだからだ。なお、ドイツ人の元物理学者による論文捏造事件とは何も関係なく、アラン・ラッド主演の映画『シェーン』の著作権についての事件である。

『シェーン』の公開は1953年。当時の日本は旧著作権法時代であり、その保護期間は公表(公開)から33年(1986年まで)だったが、1971年に施行された現在の著作権により、公開から50年が適用され、2003年まで保護されることになった。なお、保護期間の考え方は次のとおりである。「公開から50年」にしても「著作者の死後50年」にしても、カウントは翌年の1月1日から、その50年後の12月31日。1953年公開の映画なので、1954年1月1日から2003年12月31日までとなる(※1)。

その後映画の著作物の保護期間を70年に延長する法改正がなされたのが、問題の始まりであった。改正は2003年6月12日に成立し、2004年1月1日から施行されることになった。そこに着目したのが米国の映画制作会社、パラマウント・ピクチャーズ・コーポレーション(以下、パラマウント)である。彼らの主張は、「2003年12月31日午後12時はすなわち2004年1月1日午前0時と同時刻であるから、2004年1月1日時点で保護期間は切れていない、つまり、改正法が適用され、2023年12月31日まで延長される」というものだった。

・・・なお,このように,旧著作権法における著作権の保護期間が昭和45(1970)年12月31日午後12時までとされていた著作物は,昭和45年12月31日午後12時と45年改正法の施行日である昭和46年1月1日午前零時とが同時刻であるから,現行の著作権法の適用を受けるという解釈は,45年改正法制定当時の文部省著作権課長である佐野文一郎氏や極めて著名な学者が支持している解釈であり,これに対して異論を唱える学説等は存在しない。
ところで,本件改正法の施行日は平成16(2004)年1月1日午前零時であり,昭和28(1953)年に公表された本件映画の著作権の旧著作権法における保護期間は平成15(2003)年12月31日午後12時までなのであるから,旧著作権法から現行の著作権法への移行の場合と同様に,本件映画の著作権の保護期間は,改正著作権法の適用を受けて,平成35(2023)年12月31日まで延長されることとなるのは至極当然の解釈である

平成18(ワ)2908  著作権侵害差止等請求事件(平成18(2006)年10月6日  東京地方裁判所)。
カッコ内の西暦は筆者による。

これはアメリカのなりふりかまわぬ言いくるめだった、と思っていたらさにあらず。日本でも文部省著作権課長や極めて著名な学者(誰だろう)が支持している解釈らしい。本件は最高裁まで争われたが、当然のごとく裁判官全員一致で2007年(平成19年)12月18日に却下されている。

ここで冒頭で触れた問題に戻ろう。施行日を2019年1月1日からとした場合、2018年12月31日で保護期間満了を迎える著作物はすべて50年で終わる。しかしながら、12月30日にしておけば、2018年12月31日で保護期間満了を迎える著作物は、すべて70年に延長できることになるわけだ。(※2)

著作権保護期間を70年にするというのは、それ以前から議論されてきているが、クリエイターのうまみになると言われても実感はない。自分が死んだ後、自分の遺族がそれで70年儲けられるとして、それが創作意欲につながるものだろうか?私は経済や国際問題にはまったくの素人だが、TPPは貿易協定であり、力の強い国に有利な条件で進められることは想像がつく。実際問題として、2019年1月1日から施行されていれば、2018年に保護期間を終える作品はパブリックドメインになっていたのに、それがかなわなくなった。

法律の趣旨が行政や法律家によって語られることがあるが、それは「建前」であることもある。権力者、大企業に有利なように進められることがあるからだ。そう考えると腑に落ちることも多いけれど、「法律は必ずしも万人の幸せを目指したものではない」という現実をつきつけられるのはなかなかに苦い。

・・・また、アメリカは、既に述べたように先進諸国中で最も著作権保護の水準が低い国だが、「レコードの保護」だけを見ると、「レコード業界」の政治力が強いために「著作権②」(※3)が与えられている。
 これらのことが意味することは極めて明瞭で、要するに「著作隣接権」は、単に「政治力の強い業界」に付与されているものなのだ。つまり、「伝達行為における工夫や準創作性を評価して」などという説明自体が、実は、学者や専門家による「後付けの理屈」なのである。

岡本薫『著作権の考え方』岩波新書、2013、60頁。

ところで、『シェーン』といえばラストシーンである。少年ジョーイの"Shane, come back!"(シェーン、行かないで!)という懇願の声を背に、シェーンは去っていく。シェーンは言う、"Joey, there's no living with, with a killing. (ジョーイ、誰かを殺めてしまったら、もう人としてはいられないんだ)シェーンは、例え人としてなすべきであっても、暴力がもたらす代償というものを知っていた。どんなに仲が良くても離れ離れにならねばならない、そういう男のけじめの背中に、世界中の観客は魅了されてきたのだろう。比較しても仕方ないけれど、映画会社の態度はシェーンの哲学と真逆、「往生際の悪い奴」に思える。それほどまでに著作権保護に凝り固まらなくてもよかったのではないか。なにしろ、パラマウントには『トップガン:マーヴェリック』のように、観客が何度も劇場に足を運ぶほどのエンターテインメント作品を作る、世界屈指の制作力があるのだから。

※1 2004年12月31日までではないことに注意したい。私は単純に「公開の年」「亡くなった年」にプラス50年して、その年の年末までと覚えている。
※2 2023/7/24に段落を追記。
※3 著者の岡本氏が独自の説明をなさるために使用している言い方で、同書の14頁によると、著作隣接権を含まない「著作者の権利」としての著作権を指す。映画製作会社とレコード会社は異なり、映画製作会社はそもそも著作権を持っているが、アメリカにおいてどちらも「政治力の強い業界」といえることから根拠とした。

【参考文献(引用元を入れていないもの)】

  1. 文化庁「環太平洋パートナーシップ協定の締結に伴う関係法律の整備に関する法律(平成28年法律第108号)及び環太平洋パートナーシップ協定の締結に伴う関係法律の整備に関する法律の一部を改正する法律(平成30年法律第70号)について」https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/hokaisei/kantaiheiyo_hokaisei/2022.7.16閲覧。

  2. ジョージ・スティーブンス監督作品映画『シェーン』(Shane)、1953公開。

  3. ”Shane Quotes”, https://www.quotes.net/movies/shane_10234 2022.7.16閲覧。

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